近藤メンバーの過去原稿 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2003-08-17

ソニンの鱈煮―〈類似〉の雑学【第1回】六甲颪に颯爽と蒼天翔ける『日輪の翼』―中上健次さんと星野仙一さんの巻 ソニンの鱈煮―〈類似〉の雑学【第1回】六甲颪に颯爽と蒼天翔ける『日輪の翼』―中上健次さんと星野仙一さんの巻  - 近藤メンバーの過去原稿 を含むブックマーク はてなブックマーク - ソニンの鱈煮―〈類似〉の雑学【第1回】六甲颪に颯爽と蒼天翔ける『日輪の翼』―中上健次さんと星野仙一さんの巻  - 近藤メンバーの過去原稿 ソニンの鱈煮―〈類似〉の雑学【第1回】六甲颪に颯爽と蒼天翔ける『日輪の翼』―中上健次さんと星野仙一さんの巻  - 近藤メンバーの過去原稿 のブックマークコメント

 一八年ぶりの優勝に向けて阪神タイガースが快進撃を続けていますが……というフレーズがここへ来てすっかり人々の、特にオッサンたちのあいだでの時候のあいさつとなっている。このフレーズさえ前振りしておけば、あとはどんなにテキトーでもちゃんと会話が成立してしまうほどだ。たとえば「一八年ぶりの優勝に向けて阪神タイガースが快進撃を続けていますが、これを機に景気が少しでも上向くといいですなあ」とか「一八年ぶりの優勝に向けて阪神タイガースが快進撃を続けていますが、わたしは会社をリストラされました」とか、あるいは「一八年ぶりの優勝に向けて阪神タイガースが快進撃を続けていますが、課長、最近娘さんとは上手くやってるんですか?」とか「一八年ぶりの優勝に向けて阪神タイガースが快進撃を続けていますが、いや、うちの娘はどうもよくない男とつきあってるらしくて、こないだこっそり風呂場を覗いてみたら、いつの間にか背中に黒い羽根の入れ墨――いまはタトゥーっていうの?――を入れてたよ。まったく、親からもらった体を何だと思ってるんだ」とか。って、ほんとにどうでもいい話ばっかりだな。

 てなわけで、どうでもいいような話をするために勝手に始めた当連載でも、せっかくなのでこの前振りを使わせていただこう。

 ――一八年ぶりの優勝に向けて阪神タイガースが快進撃を続けているが、それにしても現阪神監督・星野仙一と作家・中上健次の声は似ている。ぼくがこのことに気づいたのは三年前の九月に、和歌山県は新宮市立図書館内にある中上健次資料室を訪れた時だった(新宮市は中上の故郷である)。その際、図書館の方から「これはおそらくここぐらいでしか観られないものだと思いますよ」と勧められて、フランスのテレビ局が製作した中上健次のドキュメンタリー・ビデオを視聴させてもらったのである。これがいきなりオープニングで中上健次がバカでかい外車から降りて高級クラブ風の建物の中へ颯爽と入っていったかと思えば、別のシーンでは帰郷した彼が友人たちの前で「兄弟仁義」をカラオケで堂々と歌い上げたり、あるいは中上について、まだイヤミ風のヒゲを生やしていたころの蓮實重彦がなぜか井の頭線の駅(おそらく駒場東大前だろう)のホームで、浅田彰が皇居前のホテルの一室でそれぞれ語っていたりするという、なかなかにヘンテコなものであった(とはいえドキュメンタリーの質としてはきわめて高く、中上文学の本質をしっかりと捉えたものではあったが)。そのビデオで中上の声を聞いた時、ぼくは、これって誰かの声に似てるなー、誰だっけ?……あ、星野仙一だ! と気づいたわけである。

 ところで奇しくも中上健次は知る人ぞ知る熱狂的な阪神ファンであり、阪神が二一年ぶりに優勝した一九八五年には、当時『平凡パンチ』で連載していたエッセイの中でも折に触れて阪神の快進撃に言及している。たとえばこんなふうに。

 外に飲みに行ったりして出喰わす編集者や読者と称する者から、急に門戸開放したように方々の雑誌に顔を出し、エッセイを書き、対談をやっているのはどういう心境の変化なのか、と訊かれる。

 ジャズ・ヴォーカリストの練習をやり、さらに九月に韓国演歌をうたうリサイタルを計画していると聴いて編集者が困惑しきり、どうしてなのか? と訊く。

 そんな問いには、単純な事だ、すべて阪神優勝悲願達成の為なのだ、と答える事にしている。訊く者、「ああ、そうですか」と納得するのが、阪神と阪神ファンの積年の怨念変じた病気の重さを示している。

 (中上健次バッファロー・ソルジャー』福武書店、一九八八年)

 その中上もいまはもういない。彼が闘病の末に癌で早世したのは一九九二年。いまにして思えば、阪神が久々に一時首位に立ったものの、結局は野村克也監督率いるヤクルトにリーグ優勝をさらわれた年だ(最終的に成績では巨人と同率二位になったものの、前年最下位だったため三位扱いとなった)。まさか後年、その野村を阪神が指揮官として迎え入れ、一瞬はチームを立て直したように見えたものの、最終的には成績不振と夫人のスキャンダルのため追わざるをえなくなろうとは……。そんなチームが今年は、中上健次と似た声を持ち、同学齢でもある星野仙一(中上は一九四六年八月生まれで、星野は翌年の一月生まれ*1)の指揮のもと、セ・リーグ史上でもまれなゲーム差をつけて単独首位を爆走している。これも何かのめぐり合わせだろうか。

 さて、作家とプロ野球関係者の声の類似といえば、ぼくは以前、中上・星野とはまた別の組み合わせから発想して、戦後日本の文学史をプロ野球史になぞらえてみたことがある。それは島田雅彦原辰徳の声が似ていると思ったことがきっかけだった。

 島田雅彦原辰徳、この二人の声が似ていると思うと、文壇、球界におけるそれぞれのポジションも何か似ているような気がしてくるから不思議だ。たしかに両者とも若くして華々しくデビューし(原は高校野球でアイドル的人気を集めた選手の走りだし、島田もデビュー当時には作品のみならずその貴公子然としたルックスから脚光を浴びた)、その世界では正統たる嫡子と目されながら(え、違います!?)、どうも周囲の期待を裏切るところがある(現役時代の原はここぞという時に打たない四番とまで言われてたし)。また現在それぞれ巨人軍監督、日本文藝家協会理事(現在四〇代前半の作家で同職を務めるのは中沢けいと島田だけ)と確固たる地位にあり、この世代としては比較的長いキャリアを持ちながらも、どうもその貫禄が感じられず、万年青年といった雰囲気がいまだにぬぐえない……といったところも似ているかもしれない*2

 そんな類似点を見出したことから、ぼくはさらにほかの作家とプロ野球選手でもこのような組み合わせはできないものかとあれこれ考えてみた。

 まず長嶋と王は、やはり文学界でいえば石原慎太郎大江健三郎といったあたりだろうか。実際、長嶋と石原は弟・裕次郎が健在のころから交友関係があるし、何てったって二人とも高度成長期前夜に颯爽と登場した「太陽」である。一方、王と大江は、それぞれ本塁打世界記録とノーベル文学賞によりいずれも「世界の~」と呼ばれる存在であるということで。まあ「オー」と「オーエ」で名前も似てるし。って、それはちょっと強引か。

 それから森祗晶や広岡達郎などONとともにV9時代の巨人で活躍しながら、彼らのスター性の影に隠れてしまった選手は、石原・大江と同世代ではあるけど後発組の「内向の世代」の作家たちとどことなく似ている。また森や広岡は現役引退後、監督として成功を収めるが、それはたとえば近畿大学の文芸学部長を務めた後藤明生や(彼は同学部の教壇に柄谷行人島田雅彦などを招致している)、長年芥川賞選考委員を務める古井由吉黒井千次など文学界で政治力を発揮する「内向の世代」の作家たちの姿に重なるのではないか。

 さらにくだって戦後生まれの作家である中上健次は、さっきその声が星野仙一に似ていると書いておきながらなんだけれども、存在としては球界における江夏豊に近いように思う。かたや最後の無頼派文士、かたや最後の野武士投手ということで。さらに余計なことをつけ加えれば、中上が亡くなったのは、ちょうど江夏が覚醒剤所持で逮捕されたのと同時期。このおかげで江夏は野球殿堂入りを逃してしまったわけだが。

 あと、これ以外にないというほどドンピシャの組み合わせが田中康夫江川卓である。まず二人ともデビュー時に騒動を巻き起こしたということや*3、ワイン好きというところなどが共通する。そして何より一番似ているのは、二人とも文学や野球にあまり固執していないということだ。なお江川が現役時代もっとも好成績(二〇勝)を収め巨人を優勝へと導いた一九八一年は、田中康夫のデビュー作『なんとなく、クリスタル』が大ベストセラーとなった年でもある。その後も田中が長野県知事選出馬を要請されたのとおなじ時期に、江川もその人気を当て込んで次期巨人軍監督就任を請われているとの噂が飛び交うなど、両者の動向は何かとシンクロしているようだ(まあ、江川監督就任の話はあくまでも噂で終わってしまったけど)。

 このほかにも、野村克也筒井康隆だとか、さらには村上龍落合博満村上春樹若松勉(あるいは村上雅則?*4)だとか、考えればもっと組み合わせをあげていくことはできるかもしれない。しかし考えれば考えるほど野球や文学そのものからは遠く離れていくような気もする。そう、柄谷行人もかつてこんなことを書いていたではないか。

 日本のプロ野球が……国民的スポーツとして定着したのは、野球そのものとは別個の記号論的世界として存在しはじめたからである。日本のプロ野球は、ほとんどメタファーとして存在している。七〇年代のある時期には、たとえば、巨人=自民党、阪神=社会党、中日=民社党、ヤクルト=公明党、広島=共産党、大洋=新自由クラブ、さらにパ・リーグ=新左翼各派などの見立てが可能だった。また、長嶋が引退したとき、巨人ファンは、それを高度成長期の終焉などと解釈したりした。何をどういっても構いはしない。巨人を中心とした六球団、あるいは一二球団は、すでに安定した体系であって、その限りで、天皇制を含む日本のあらゆる組織形態と似てしまうのである。

 (柄谷行人「日本精神(病)野球の将来」、草野進編『プロ野球批評宣言』冬樹社、一九八五年。太字部分は原文では傍点)

 これを読むと、戦後文学の作家たちをプロ野球の名選手たちになぞらえることが何ら不自然なことではなかったことがよくわかる。つまり、柄谷のいう《天皇制を含む日本のあらゆる組織形態》の中には当然、文壇も含まれるわけだから。

 しかし果たしていま、石原慎太郎長嶋茂雄に見立てるといった要領で、たとえば九〇年代以降に登場した若手作家たちを、イチロー松井秀喜、あるいは松坂世代などと呼ばれるより若い世代の選手たちになぞらえることは可能だろうか? いや、どうも無理なような気がするし、たとえやってみたところで無意味なことに思われる。

 それは先に引用したエッセイの後半で、柄谷行人が《つぶしてしまえばよい》と言い放った、《みみっちく安定した「記号論的世界」》が、球界のみならずあらゆる世界においてここ二〇年のうちに見事に崩壊してしまったからかもしれないし、あるいはアメリカ大リーグに通用する選手を輩出し続け、一応は国際競争の中へと飛び込んだ日本球界に対し、日本文学は国際競争といったものからまるで無縁な立場をとり続け、これまで以上に閉塞してしまっているからなのかもしれない。

 と、まあ、なんだかいままで自分が書いてきたことを全否定するような結論になってしまったが、ここでもう一度話を中上健次に戻そう。

 彼が生涯こだわり続け、作品の舞台として終始描いてきた場所に故郷である被差別部落――彼がいうところの〈路地〉がある。その〈路地〉も、現実の世界では開発によって八〇年代にはすっかり消滅してしまった。しかし、たしかに現実の〈路地〉は消えてしまったけれども、そこに住んでいた者たちが日本中の、いや世界中の各所に散らばっていくことで遍在することになるのだ、という考えがちょうどこの時期に書かれた『日輪の翼』などの中上作品では示されている。

 遍在といえば、今年は例年以上に顕著になっているように、阪神ファンはどのチームのファンにもましてどんな場所でも自分たちの本拠地であるかのような雰囲気をつくり出してしまう凄まじい力を持っている。これはおそらく、夏の高校野球開催の期間には毎年甲子園を離れ各地を転々とする、いわゆる「死のロード」に出なければならない宿命が少なからず影響しているのだろう。ひょっとしたら中上はそこに、遍在する〈路地〉と同様のものを感じとっていたのかもしれない。だとすれば、彼が阪神ファンであることはほぼ必然だったのだ。漂流し遍在する〈路地〉=甲子園あるいは阪神ファン。そんなふうに考えてみると、東京に対する関西という構図のもと巨人に対抗心を燃やす向きとも、あるいは阪神優勝によって景気回復を期待する向きともまったく違った阪神ファン像が浮かび上がってくるのではないだろうか。

 (初出 『サブカル評論』第4号、2003年8月)

【ウェブ公開にあたっての解説】

 読んでいただけばわかるように、本稿はちょうど阪神が快進撃を続けていたころに書いたものである(ただし脱稿前後の「死のロード」では敗退を続け、もはやここまでかと一瞬思わせたりもしたが)。その後阪神がファンの期待に応え、9月にはめでたくリーグ優勝を果たしたのは周知のとおり。そのことは多くの人と同じく筆者にもすでに予想はついていたが、まさかペナントレースが終わってから優勝監督である星野を皮切りに、巨人の原、中日の山田久志など、結果的にセ・パ両リーグともに半分のチームの監督がやめる(中には西武の伊原春樹のように別チームのオリックスに招致されるという例もあったが)という波乱の事態となろうとはこの時点ではまったく予想だにしなかった。

 それにしても、野球と日本文学はなぜこんなに相性がいいのだろうか。その原因には文中で柄谷行人のエッセイを引いて記したように、文壇も含む日本のあらゆる組織が似ているということもたしかにあるのだろう。しかし、村上龍広島カープの初優勝を見届けてから、そのデビュー作「限りなく透明に近いブルー」を一気に書き上げたとか、あるいは、村上春樹は一九七八年の春、神宮球場でのヤクルトスワローズの対広島戦を観戦中、ヒルトンが二塁打を放ったのを見てふと小説を書こうと思い立った*5などといったエピソードが示すように、日本において文学と野球の関係はどうも一筋縄ではいかないようなところがある。これには、さらにさかのぼって、写生文の創始者・正岡子規が自分の号である「昇」(の・ボール)に引っかけて野球と名づけたという俗説あたりに何かヒントがあるのかもしれない。

 さて、本稿は「ソニンの鱈煮」というタイトルで、編集担当の万里小路氏には何の断りもなしに連載として見切り発車したものである(結局、連載は2004年8月の第6号掲載の第2回までしか続かなかったが)。そのタイトルは、賢明な読者であればすでにおわかりだとは思うが、単純に「他人の空似」という言葉の二つの名詞の頭文字を入れ替えただけのものである。よって、ソニンと内容はまったくの無関係なので、あしからず。

 (2004年2月7日/2007年2月16日記)

*1:蛇足ながら星野仙一とほぼ同時期に明治大学に在籍していた学生には、ビートたけし日本赤軍重信房子、あるいは宇崎竜童阿木燿子夫妻などがいる。

*2:ちなみに島田雅彦は阪神ファンを公言している。彼にいわせれば、元阪神監督・吉田義男は、あの他国の人間の言うことなど聞かないことで有名なフランス人たちに野球を教えていたというだけでも尊敬に値する、らしい(吉田は阪神監督をやめたのちフランス代表チームの監督を務めている)。

*3:江川の巨人入団時における騒ぎはあまりにも有名だが、一方田中康夫もデビュー直後は、交通事故、モービル石油への入社とスピード退社、結婚とスピード離婚と、ベストセラーとなったデビュー作『なんクリ』とともににぎやかな私生活も取り沙汰された。

*4:日本人初の大リーガー(投手)。南海ホークスから米国に野球留学していた一九六四年にサンフランシスコ・ジャイアンツのファームで認められ、同年シーズン中にメジャー昇格。翌年までに通算五四試合、五勝一敗七セーブの記録を残した。帰国後は南海に復帰。

*5:ちなみにヤクルトはこの年、球団史上初のリーグ制覇と日本一を達成している。