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2006-08-13

サブカルチャー好きはなぜ死に関心を抱くのか―「サブカル死人篇2006年上半期」に寄せて サブカルチャー好きはなぜ死に関心を抱くのか―「サブカル死人篇2006年上半期」に寄せて - 近藤メンバーの過去原稿 を含むブックマーク はてなブックマーク - サブカルチャー好きはなぜ死に関心を抱くのか―「サブカル死人篇2006年上半期」に寄せて - 近藤メンバーの過去原稿 サブカルチャー好きはなぜ死に関心を抱くのか―「サブカル死人篇2006年上半期」に寄せて - 近藤メンバーの過去原稿 のブックマークコメント

 昨夏(2005年)、『ユリイカ』の臨時増刊『オタクVSサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史』が出たとき、巻末に掲載されたポップカルチャー年表(オクダケンゴ作成、その元となった「平成大赦(仮)」は現在もウェブ上で更新中)を見て、本紙(ミニコミ紙『サブカル評論』)の寄稿者の一人である松原美由樹さんが、「死ねばサブカルになるのか?」と疑問を投げかけていたことがあった。これはなかなか深い問いかけであり、死とサブカルチャーの関係を鋭く突いているように思う。本稿ではこの問いかけを受ける形で、死とサブカルチャーの関係について、いくつか材料をあげながらちょっと考えてみたい。

 まず材料として先述の年表をあらためて見てみよう。この年表をあらためて眺めてみると、記述された死には自殺を含む早世が多いという印象を受ける。若くして死んだ人間というのは往々にして、なかなか歴史的な評価が定まりにくいものだ。たとえばロックの世界には若くして死んだミュージシャンが目立つが、その死因も酒やドラッグだったり、あるいは自殺だったりと良識ある大人たちから見ればロクな死に方ではないがゆえに、死の直後から正当な評価をされることはきわめて少ない。だが、熱狂的なファンや共感した若い世代などによるその人物の作品や生き方への積極的な評価が、だんだんと一般的な評価へとつながっていくということはよくある。ようするに、ある一部の人々によるサブカルチャー的な評価(なおここでは、サブカルチャーを、世代、地域、民族、特定の社会集団など、社会全体から見れば部分的な文化現象と定義する)がまずあって、それがある程度の時の流れや社会の成熟などを経て一般的な評価が確定する、というわけである。

 そう考えてみると、先の年表に示されるようなサブカルチャーの歴史において、死に関する記述がことさらに目立つのは、一般的にはまだ評価されていない(言い方を変えると、大人たちやアカデミズムなどの権威がまだ評価していない)、世間的には忘れられている人物を重視するがゆえともいえるのではないだろうか。

 死とサブカルチャーの関係といえば、きわめてサブカルチャー的な趣味として著名人の墓参りや葬儀への参列がある。聞くところによれば、タレント本の書評の第一人者であるライターの吉田豪もそんな趣味を持つひとりなんだそうな。著名人の墓参りについては、ガイドブックもいくつか出ているので、一般化しつつあるともいえるが、葬儀への参列についてはまだまだではないか。そもそも生前に何の縁もなかった者がのこのこと葬儀に顔を出すのは、ただの野次馬として遺族などからいぶしがられても仕方のない行為である。そこをあえて参列してみるのはなかなか勇気のいることだ(それに香典などを持っていく必要もあるわけだし)。それでも彼ら趣味人が葬儀に出かけるのはなぜか? それは何よりも、故人の人脈の縮図を葬儀会場に見てとることができるからだろう。サブカルチャー好きは、人と人との関係にとりわけ興味を抱く。やれ、誰と誰は仲がいいだの悪いだの、誰と誰はかつては親しかったもののその後喧嘩別れしただの、あるいはAとBは友人で、BはCとも仲がいいが、CとAは犬猿の仲であるだの、何事においても様々な視点から人間同士の関係性を眺めることが日頃から癖になっているサブカルチャー好きにとって、葬儀会場はまたとないネタの宝庫である。葬儀に誰が参列してどんな行動をとっていたとか、あるいは本来なら参列しているべき人の姿がなかったとか、あれこれ類推しながら参列するのは、たしかに好きな人にはたまらないのだろう。

 このほか、死に関する趣味ということでは、死体写真マニアや、リストカット等自殺未遂を繰り返す自殺マニア、あるいは霊的なものや死後の世界などに興味を抱くオカルト系のマニアなど様々なタイプの人々がいるが、いずれもサブカルチャーの範疇に入れてしまっていいだろう。そういえば、最近、松嶋初音という十代アイドルのブログ(2006年7月4日付*1)を読んでいたら、マンガ家の河井克夫から死体写真の楽しみ方を教わったなんてことが書かれていて、さすがに仰天した。いまやアイドルがその手の趣味を公言しても、許容されてしまう時代なのだろうか。

 さて、ここでひとまず結論づけるとするなら、サブカルチャー好きが表層的なり根源的なり、死に対して人並み以上に興味を抱くのは、やはり何よりもまず生に価値が置かれ、死が隠蔽されがちなこの世の中にあって(そもそも現在の高度資本主義社会は、生を前提としないことには何も始まらないのだから)、死の存在は結局のところ「サブ」でしかないからではないだろうか。生が尊ばれる社会にあってはとかく日陰に置かれがちな死を、同じく日陰に追いやられがちな人々―そんな人々をあえてここではサブカルチャー好きとひとくくりにしてしまうが―が好むのは、当たり前といえば当たり前のことなのかもしれない。

 (初出 『サブカル評論』フリーペーパー版vol.2、2006年8月)

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 6月下旬に地元愛知に帰省した際、INAXギャラリー名古屋で開催されていた「タワー―内藤多仲と三塔物語―展」を観に行った。東京タワー名古屋のテレビ塔、大阪の通天閣について、それらの構造設計を手がけた「塔博士」こと内藤多仲の業績とともに紹介した、コンパクトながらもなかなか充実した展覧会だった。

 その会場に東京タワーにまつわる資料として、竣工を前に塔の愛称を一般から公募した際の結果表が展示されていた。意外だったのは、一般からの応募で「東京塔」「平和塔」「日本塔」などを押さえてもっとも多かったのが「昭和塔」だったことである。「昭和塔」というと何やら古めかしく感じられるが、タワー竣工は昭和33年(1958年)、いうまでもなく当時、昭和はまさに現在進行形の時代だったわけで、そのネーミングには、昭和という「現在」を象徴する塔という意味合いが込められていたであろうことは想像に難くない。

 それにしても、仮にあの東京のど真ん中に立つ333メートルの高塔が「昭和塔」と名づけられていたら、果たしてどうなっていただろうか。歌やマンガや小説など、東京タワーを題材に扱ったものは多いが、名称が違えばそれら作品のイメージもちょっと変わっていたかもしれない。たとえばリリー・フランキー著の今年一番のベストセラー小説が、『昭和塔 オカンとボクと、時々、オトン』というタイトルだったら――ん? むしろこっちのほうが、小説のイメージと合ってるんじゃない? 

 リリー・フランキーの小説や、あるいは映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などで描かれる東京タワーはもはや懐古の対象でしかない。特に後者におけるタワーは露骨なまでにノスタルジーの象徴として祀り上げられている。そうした役割を担わされたタワーはまさしく「昭和塔」と呼ぶにふさわしい。かつて「現在」の象徴という意味合いが込められていたはずのその幻の名称は、ここへ来て「過去」、それも「昭和という輝かしい時代」(それはもちろんフィクションにすぎないのだが)を象徴する名称として復活を待っているようにも感じられる。

 おりしも、2016年に予定されている地上波デジタル放送への完全移行に向けて、墨田区新東京タワーすみだタワー)の建設計画が進行中である。いっそのこと、新東京タワーが完成したあかつきには、現在の東京タワーはその名を新タワーに譲り、隠居名として「昭和塔」を名乗ってはどうだろうか。

 (初出 『サブカル評論』第10号、2006年8月)

*1:松嶋は最近では『アキハバラ@DEEP』テレビドラマ版でハッカー役を好演していた。