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「書評」第15号分

「書評」第15号分

神尾葉子『花より男子』(集英社 1992~2004年)/評者・肉十八

 本書は「ご隠居、やっぱり花より団子ですね」の名台詞で余りに有名な、歴史的国民的アイドル「うっかり八兵衛」の実像について語られた珠玉の歴史ノンフィクションである。

 一説には江戸時代前期に活躍したと言われるうっかり八兵衛。その正体については、幕府隠密説、ご落胤説(時の将軍の「うっかり」で生まれたという出自からその異名がついたとする説)、ソ連軍スパイ説、実は架空の人物であった説など、現在の近世史学界においても諸説あるが、本書では、そのいずれの説にも因らず、うっかり八兵衛を『好色一代男』の主人公世ノ介と比肩する稀代の《男色家》であったという新説に基づいて論を展開している。

 本書では、当時の文献をもとに八兵衛が諸国を巡る中で出会った『男子』たちとのめくるめく恋愛の数々に焦点を当てつつ八兵衛の人物像をリアルに描き出しており、正に近世史界の『男版・俺の空』的作品であるとの評価が高い。ただ、刊行当時はその『好色一代男』に勝るとも劣らぬリアルな恋愛描写が倫理的に問題となったらしく、結果、八兵衛を主人公とせず、代わりに「天下の副将軍・水戸光圀」という架空の老人を主人公とし、八兵衛をその同行者という立場に変えて諸国を巡る勧善懲悪の物語として大幅に改訂された。この《ディレクターズカット版》こそが、後に映画やテレビでお茶の間を一大ブームに巻き込む『水戸黄門』シリーズの原型であることは、一部の日本近世史家の中では公然の事実である。

 本書のラストでは、諸国の男子を漫遊し尽したうっかり八兵衛が、ついに好色丸に乗り込み、海の彼方にあるという男だらけの「男護ヶ島(だんごがしま)」をめざして船出したものの、船は出港後に即難破。島は島でもなぜか島原に流れ着き、上陸直後に隠れキリシタンの密航者と間違えられて磔にされ、「いけねぇ、こいつはうっかりだぁ」と叫びながらあっけなく処刑されてしまう。その唐突にして無残すぎる最期を遂げながらも、うっかり心を忘れない八兵衛の死に様に涙を流さない読者はいない。

 なお、現在、八兵衛の好色諸国巡り時代から処刑による無残な最期までの半生を『花より男子ファイナル』というタイトルで映画化する企画が進められているとのことである。出演者には、○田裕二、○平健、平○二朗、○原敬之、また男色の取り揃えでは右に出る者のいない○ャニーズ事務所のアイドルタレント等が候補にあがっているが、「洒落になっていない」と上映そのものに危機感を抱く関係者も多く、上映時期は未定である。

 ともあれ、長年老若男女に愛され、また本書をきっかけに男色説が公になったことで、由美かおるの入浴シーンを日々の生きる糧としている老年男性以外の、特殊な性癖を持つ老年男性のファンまでも獲得し、新宿二丁目における「うっかりされたいタレントNo.1」の座を四半世紀に渡り死守している「うっかり八兵衛」の魅力を本書で感じて欲しい。

森見登美彦『四畳半神話大系』(太田出版 2004年)/評者・村垣一二三(わるつ)

 現在、我々は怪奇に飢えているのだろうか。

 今年、宮崎駿監督はクトゥルフ神話に登場する「深きもの」を主人公としたアニメ映画を公開した。また『真ク・リトル・リトル神話大系』の再編集版の刊行も進んでいる。昨今のこのようなクトゥルフ神話ブームの火付け役となったのが、この森見登美彦氏の『四畳半神話大系』である。「四畳半」と聞くと、我々ゆとり世代はすぐにブチギレ系芸人松本0:00の名作コントを思い浮かべてしまうが、この作品と松本氏とほとんど関係がない。幻覚剤の材料としてサルマタケが登場するくらいだろう。

 この作品において京都の大学生である主人公は、あるときは下宿の先輩(実はナイアールラトテップ)にそそのかされて南極に行き、あるときは新入生の女の子(実はナイアールラトテップ)に懇願されて冥王星に、あるときは妖艶な美女(実はナイアールラトテップ)にサルマタケ製幻覚剤を投与され「夢の国」(鼠はいない)に行くことになる。まぁ我々就職氷河期世代特有の、悟ったものの言い方をすれば、人生というものは人に騙されるためのものであり、いい人生かそうでないかは騙される相手による区別でしかない。その点この主人公は幸福なのだろうか。少なくとも主人公が七転八倒する怪奇的冒険に手に汗を握る、我々団塊ジュニア世代は心地よく森見氏の手の上で騙される幸せを感じることになる。

 寝苦しい夏に涼を求めるのにも、これからの秋の夜長にも、ともにお勧めできる珠玉の一冊である。

阿川弘之『大人の見識』(新潮新書 2007年)/評者・徒然亭草稿

 偉い小説家で文化勲章も受章している阿川先生。あるとき、某総合雑誌の編集者から、「今後の日本についてどのような『けんしき』をお持ちでしょうか? それでひとつ、原稿をお願いしたく思います」と依頼を受けます。

 この阿川先生、大変負け惜しみが強いといいますか、知識人としてのプライドが高い人でございまして、「知らない」「わからない」などとは口が裂けても言いません。

「ああ? うむ、『けんしき』かね……そりゃあまあ……」

「おそらく、先生のことですからいろいろとお持ちかとは思いますが」

「え? ああ、もちろんだよ、君」

 と返事をしてしまいます。

「では原稿のほうお引き受けくださいますね。のちほど、締め切りが確定しだい、またお電話ででもお知らせしますので。では、小生はこれにて失礼いたします」

 と編集者は帰ってしまった。先生はうっかり原稿を引き受けてしまったものの、「けんしき」という言葉が気になってしょうがない。

「さて、『けんしき』とは何だろう? 辞書で調べようにも最近、めっきり目が悪くなって、あの細かい字が読めない。編集者はわたしが『けんしき』を持っているものと思って原稿を頼んできたが、もし『けんしき』がなかったら……。よくわからないが、すごく馬鹿にされるような気もする。うーん……そうだ、娘の佐和子に聞いてみるとするか。相変わらず独り身のアラフィフ、いやもうアラシックに手の届く女だが、週刊誌で対談の連載もしていることだし、あいつなら何か知っているかもしれん。

 おい、佐和子。佐和子はいないか」

「なに、パパ。これからふみちゃんと食事に行くんだから、用件があるなら手短に言ってちょうだい」

「また死んだ壇一雄の娘と食事か。いい年した女が二人、男よりも食い気で、ああ言えばこう食うなんて、講談社エッセイ賞を受賞したからっていい気になるんじゃない!」

「なってないわよ。で、何、用件は?」

「ああ、そうだったな。『けんしき』を出してほしいと思ったんだが」

「は?」

「だから、『けんしき』だよ」

「何ですって?」

「あっただろう、家にも。『けんしき』を出してこいと頼んでいるんだ」

「けん……しき?」

「『けんしき』だ」

「『けんしき』って、なによ?」

「『けんしき』は『けんしき』じゃあないか」

「どんなものなの?」

「おまえは『けんしき』を忘れたか。おまえ、六〇にもなって、なぜ『けんしき』を忘れる……いや、そりゃあ忘れてもしかたのないことかもしれないが……」

「失礼ね、まだ五五よ」

「四捨五入すればもう六〇だろうが。その歳にもなって『けんしき』を知らんとは、やはり嫁に出さなかったわたしが悪かった。この世間知らずめ!」

「なによ、言いたい放題言って! こっちは知らないって認めてるんだから、素直に教えてくれればいいでしょう。だから『けんしき』ってなに?」

「わたしは教えん。知らなかったら父に聞けばいいというその心が気に食わない。そうだ、恥をしのんで、ビート君か大竹君にでも聞いてきなさい」

「大竹君は大竹まことさんってわかるけど、ビート君って、たけしさんのこと?」

「そう、そのビート君だよ。彼らなら、人生経験も豊富そうだし、知ってるはずだ。『けんしきはありますか』と聞いてみなさい」

「聞いてどうするのよ」

「『ある』と答えたのなら、借りてきなさい」

「借りてくるの? めんどくさいなあ。わかりました、じゃあ言ってきます」

 五〇をすぎても父は父。どうしても逆らえない佐和子さん、テレビ番組で共演しているビートたけしさんと大竹まことさんに「けんしき《があるかどうか聞きに出かけます。

「『けんしき』なんて言葉、いままで一回も聞いたことないわよ。なんなのかしら、『けんしき』って。うちのパパ、時々ああいうわけのわからないことを言い出すのよね。少しボケてるのかしら……ああ、たけしさんだ。こんにちは」

「ああ、阿川さん」

「いきなりですけど、たけしさんは『けんしき』をお持ちですか?」

「本当にいきなりだなあ。え、『けんしき』ぃ? なに、阿川さん、『けんしき』なんてまだ持ってるの? おいらなんかとっくの昔に捨てちゃったよ」

「え、捨てちゃったんですか!?」

「あんなもん持ってたってしょうがないもん。おいらなんかしょせん芸人なんだから。まあ阿川さんなら仕事柄持ってたほうがいいかもしれないけどさ」

「いや、わたしは恥ずかしい話、『けんしき』をまだ一度も持ったことがなくて。たけしさんが持ってるなら、お借りしようと思ってたんです」

「え、借りるぅ? そいつぁ弱っちゃったな」

「大竹さんだったら持ってるかしら」

「大竹が持ってるわきゃねえじゃんかよ。なあ?」

 と、たけしさん、向こう側で不機嫌そうにひとり煙草を吸っていた大竹まことさんに訊ねます。

「え、なになに?」

「だから、『けんしき』なんてあんたが持ってるわきゃねえよな?」

「え? ああ、『けんしき』。いや、昔持ってたわ。きたろうからとりあげたんだ」

「きたろう? あんなやつが『けんしき』なんて持ってたってしょうがねえじゃねえか」

「だから、生意気だってとりあげたの。でも、おれが持っててもやっぱり使いようがないからさ、レストランやってる双子の弟にあげちゃった」

「弟、『けんしき』使うことあるんだ」

「まああいつは雑誌に記事を書くこともあるし、仕事柄必要なときがあるんじゃないの」

「でも双子だからあんたと同じ顔してるんでしょ。似合わないよなあ」

「よけいなお世話だよ!」

「あのー、大竹さんもやっぱり『けんしき』はご存知なんですか?」

「え、阿川さん、なに言ってるの。知ってるよ、これでも」

「きたろうさんからとりあげて、それから弟さんにあげたって、やっぱりモノなんですか、『けんしき』って?」

「モノ? ああ、そうそう、形はどうだったかなあ、よく覚えてないけど。ああそうだ、ちゃんと保存しておかないと、カビが生えるんだ」

「えっ、カビが生えるんですか。ということは生もの……?」

「まあ生ものは生ものなのかなあ。よっぽどのことがないかぎりカビは生えないみたいだけど。……ねえ、たけしさん、そうですよね?」

 大竹さんはそう話しかけると、たけしさんはなにも言わずにニヤニヤするばかり。心なしか、おふたりはなにやら暗黙のうちに申し合わせたかのようにも見えましたが、佐和子さんはさほど気にせず、お父さんの阿川先生へさっそく知らせにいきます。

「ただいま」

「遅かったじゃないか。で、どうだった。『けんしき』はあったか?」

「たけしさんも大竹さんもご存知はご存知だったんですけど、いまは持っていないとおっしゃってました」

「……芸人風情でも知っていたとは……いや、これはひとりごと……ああ、持ってはいなかったか」

「なんでも、たけしさんはとっくの昔に捨てちゃったって。芸人が持っててもしょうがないみたいな感じでしたね」

「そうだろう、そうだろう、漫才師とかが持っておっても使いようがないだろう」

「大竹さんは大竹さんで、きたろうさんからとりあげたはいいものの、やっぱり必要ないから、レストランを経営している双子の弟さんにあげちゃったって。ちなみに弟さんは雑誌に原稿を書くお仕事もされているので、必要なときもあるかもしれないとか大竹さんはおっしゃってましたね」

「きたろうって、まさか西田幾多郎か?」

「いえ、きたろうさんっていう大竹さんと一緒にコントのグループを組んでる方です」

「なんだ、『ゲゲゲ』のほうか」

「あ、いえ、そっちでもないんですけど……それはそうと、大竹さんによれば『けんしき』はちゃんと保存しておかないとカビが生えることもあるそうですね」

「……うん? ああ、そうそう、そういうこともあるらしいな。生ものみたいなもんだからな」

「で、結局、『けんしき』ってなんなんですか? わたし、おふたりから話を聞いてもさっぱりイメージが湧かなくって」

「わたしの口から聞くと、おまえはまた忘れてしまうだろう。そうだ、そろそろ『文藝真珠』の原稿が確定するころだから、いまから編集者のキクチ君に電話をかけなさい。わざわざ向こうにかけさせるのは悪いから。で、そのときにだな、キクチ君に、父に申しつけられたなどということは言わずに、自分が疑問に思ったことだとして、『けんしき』とは一体なんなのか聞いてみなさい。それで、教わったらわたしに話すように。おまえがちゃんと覚えているか、わたしがチェックしてやるから」

「……なによ、偉そうに……」

「なにか言ったか」

「いえ、なんでもありません。じゃあいまからキクチさんに電話をかけますね」

「頼んだぞ。わたしはちょっと横になるから」

 と言って、先生は床に入ります。佐和子さんは先生に気遣って、編集者のキクチさんが電話口に出ても小声で話します。

「もしもし、キクチさんですか」

「え、すみません、ちょっと聞こえづらいんですが……ああ、佐和子さんですか。小社では『週刊ブンシン』のほうでは連載対談……ええと、『阿川佐和子のこの人は会いたくないかもしれないけれど、わたしは会いたい』で大変お世話になっております」

「いえ、『阿川佐和子のこの人に会いたい』です。間違えたにしては、ちょっと悪意があるように聞こえましたが」

「いやいや、悪意なんてみじんもございませんよ。で、きょうはなんでしょうか」

「あの、父の原稿の締め切りをおうかがいしたくて」

「ああ、そうですね。えーと、じゃあお盆明けぐらいということで」

「ずいぶんアバウトですね」

「だって、先生、締め切りを守ったためしがありませんから……あがわ、いや、あわわ、娘さんにそんなこと言っちゃいけませんね」

「いいです、気にしないでください。ところでもうひとつお聞きしたいことがあるのですが、わたし、恥ずかしながら『けんしき』というものがいったいなんなのかわからないんですけれども、『けんしき』ってどんなものなんですか?」

「はあ、『けんしき』……ひょっとして、先生に訊かれたとか?」

「はい……いえいえ、たまたま、対談相手の方が『けんしき』ということばが何度か口にされたんですが、それがなんなのかお聞きしないまま、話をやりすごしてしまったんです」

「へー、佐和子さんでもそういうことするんだあ」

「いえ、そのときですよ。いつもはわからないことは必ず質問するようにしてるんだけど、そのときは疲れていたというか……」

「いや、別にあなたを責めたわけじゃないですよ。それはともかく、『けんしき』ということばですがね……ちょっと待ってください……」

「あ、いま、ひょっとして辞書を引いてるんじゃないでしょうね?」

「ギクッ……いやいや、思い出してるんですよ。ああ、そうだそうだ、『物事の本質を見通すすぐれた判断力。また、それに基づくしっかりした考え』、それが『けんしき』というものですよ。漢字で書くと、『見る』に知識の『識』、で、見識」

「まるで辞書のように正確なご説明、ありがとうございます」

「あ、ひっくり返して識見ともいいます。一種の業界用語ですな」

「それは違うと思うな」

「まあ、ですから、たとえば『見識を持たれた方』と言うばあい、物事に対してその本質を見抜き、それをもとに自分なりに考えて行動ができる人だと褒めていることになるわけですなあ。まるでお宅の先生みたいに(笑)」

「そのカッコワライが引っかかりますが」

「いやいや、もちろんわたしは褒めているんですよ。そんなわけでして、先生にはくれぐれもよろしくお伝えください。後日、西瓜でも持って、原稿の進み具合を確認にまたお宅にお邪魔いたしますので」

「ああ、どうぞよろしくお願いします。では、ごきげんよう」

 そう言って佐和子さんは受話器を置くと、思わずプッと吹き出してしまいました。

「なに、『けんしき』ってモノでもなんでもないじゃない。どうやって人にもらったりあげたりできるのよ。カビが生えたりするわけもないし。たけしさんも大竹さんもよく言うわ! うん? ということはパパも知ったかぶりしてるだけなんじゃないの! なによ、それ。

 でも、キクチさんから聞いたとおりにパパに伝えるのはくやしいなあ。ちゃんと説明したところで、『そのとおりだ。もう忘れるなよ』なんて、また説教されるのがオチだわ、きっと。うーん、なにかいいようがありそうなもんだけれども……どう伝えてあげようかしら……そうだ、パパは鉄道が好きだから……。

 パパ、起きて。キクチさんに『けんしき』についてちゃんと訊いておきました」

「うん?……ああ、そうか訊いておいたか。で、なんだって?」

「はい、ええと、ええっとね……」

「キクチ君はなんと言っていたんだ」

「はい、あ、あの、蒸気機関車のある型のことだと……」

「蒸気機関車? ああ、スチーブンソン式とかテンダー式とかああいうやつか。なにか人の吊前とか部分の吊前からとって、ある特徴をもった機関車のことを『ケン式』と呼ぶわけだな。うむ、そのとおりだ! 二度と忘れるなよ」

「はい、わかりました」

「そういえば家にも『ケン式』の模型があったんじゃなかったかな。キクチ君のところの原稿は、その模型にまつわる少年時代の思い出でも書くことにしよう」

 さて、それから幾日か経ちまして、編集者のキクチさんが西瓜を持って先生の陣中見舞いにまた阿川家にやってまいります。

「こんにちはー。先生、原稿の進み具合はいかがですか?」

「う、うん、順調に進んでいるよ。そうだ、キクチ君、今回『ケン式』について原稿を頼まれて、家のなかを探してみたら、わたしも持っていたよ」

「え、一体なにをです?」

「模型だよ、『ケン式』の」

「も、模型ですか?」

「模型だからって馬鹿にしなさんな。これはドイツ製で、電気で動くようになっている」

「はあ、ドイツの見識は電気で動くんですか」

「わたしは少年時代、親に無理を言ってこの模型を買ってもらってね。もううれしくてうれしくて、何度もスイッチを入れては走る様子を眺めていたものだよ」

「ええっ、親御さんに見識を買ってもらったんですか!?」

「なにを驚いているんだね。もちろん本物じゃなくて、模型をだよ」

「ああ、ですよね。本物なんて売ってるわけありませんもんね」

「でも、一回、満洲で本物を見た記憶があるな」

「えっ、満洲には本物の見識があったんですか。それはどういった見識で?」

「君はなにも知らないんだね。満洲には満鉄というのがあってだね、そこをケン式が走っておったわけだよ」

「見識が満洲を走る? 関東軍に対するさまざまな見方が各方面を飛び交っていたということですかね?」

「君もわけのわかったようなことを訊くねえ。そういう隠喩ではなくて、実際にケン式が客車を引っ張って走っていたんだよ」

「見識が客車を引っ張る!? あっはっはっ、先生、ご冗談もほどほどにしてください。見識が客車を引っ張れるわけないでしょう」

「なにを無礼な、わたしはこの目で見たんだっ」

「見識なんて目で見られるものじゃないでしょう。あ、いや、文章かなにか形にしてあれば見られるかもしれませんが。そもそも見識とは見る対象物ではなく、反対に、物の見方といいますか……」

「え、なんだって!?」

「ですから、ようするに物の本質の見方、考え方といいますか、そういうのを見識と呼ぶのです。あれっ、先生、もしかしてご存知じゃありませんでしたか?」

「な、なにを言うんだ、君は。もちろん知らなかったわけがないだろう……こら、佐和子、そこでなにをニヤニヤ笑っている、早く模型を持ってこないか」

「模型って……やっぱり、先生……」

「だから知っていたと言ってるじゃないか。そうだ、模型だって本質をつかまえているものとそうでないものがある。つまり、見識を持ったものと持っていないものがある。模型というのはそういったたとえを示すために用意していたんだ。そ、そう、君が見識ということばの本当の意味を知っているか試したんだよ。いや、からかったりして悪かったね。すまん」

「いえいえ、先生の粋なジョークにとんと気がつきませんで、こちらこそ失礼いたしました。それにしても、なんだって汽車をひきあいに見識を説明しようとされたんですか?」

「そりゃあ君、汽車に乗っていると車窓から見える風景はどんどん変わっていくだろう。見識もそんなもんじゃないか。本質をとらえると一口に言っても、流れていく時間に対して、人間はなかなかあらがえない。そのなかで都合よく物の見方や考え方を変えてしまう人のほうが圧倒的に多いだろう。たとえば、戦時中に軍国主義を賛美していた者が、戦争が終わるとコロリと共産主義者に変わっていたり、わたしはそんな例をこれまでいくつも見てきた。まったく、時代という走る汽車のなかで、その車窓から見えるものの本質をつかめる人というのはごくわずかだなあ……と、つまりそういうことが言いたかったわけだよ」

「おあとがよろしいよーで」

「し、失敬な!」

横山秀夫『クライマーズ・ハイ』(文藝春秋 2003年)/評者・肉十八

 G馬県では知らぬ者のいない、アマチュア登山チーム「上野村クライマーズ」のメンバーたちの半生を描いた人情味あふれる社会派ヒューマンストーリー。なお、本書のタイトルは、某有名タレントが自らの少年時代を綴った小説『たけしくん、ハイ!』へのリスペクトとされている。

 群M県の山奥の村で貧困に喘ぎ、ろくに教育も受けられないままにただグレていくしかなかった少年たち。しかし彼らは、都会より流れ着いてきた、元「東映スパイダーズ」出身のプロのフリークライマー(ビル登り専門)を自称する獅子春鈍(れおぱる・どん)の熱烈な指導と拷問により、いつしかクライマーとしての才能に目覚めていく。

 小柄な体躯を活かして山々を跳び回る「モンキー」、顔面に落石を受けてもひるまず登り続ける「ダニ」、巨漢で怪力の「材木」、インテリ登山を得意とする「大学」、ナイフ投げの名手「網走」、立ちはだかる岩壁もダイナマイトで吹っ飛ばず「ハッパ」など、ことごとく個性的かつ犯罪的なメンバーたちが、「俺たちゃ、裸が登山服」を合言葉に、めきめきと成長していく姿がいきいきと描かれている。戦後間もない頃の日本の山間部における義務教育が、いかに杜撰であったかを再確認できるエピソードだ。

 また本書では、少年たちの登山修行シーンのいっぽうで、その本筋とはまったく関連なく、同じG馬県内で起きた「大久保清事件」や、「連合赤軍事件」、そして特に御巣鷹山に墜落した「日航機墜落事件」については人一倍詳しく取り上げており、上毛新聞出身である著者の地元を強く愛する視点が所々に窺うことができる。

 その地域を宣伝・アピールし利益を地元に還元していく「地域密着型」の取り組みは、スポーツの世界だけではなく、出版物や映像作品などのエンターテイメントの分野においても強く推進されていると言われる昨今だが、本書は地域の事件事故までを積極的に取り上げ、そんな「地域密着型」というレベルを情熱においてもインパクトにおいてもはるかに上回る、「密着」という言葉に収まらない、いわば「地域激突型」の小説と呼ぶにふさわしい作品と言えるだろう。最後に、御巣鷹山墜落事故の犠牲者の皆様のご冥福を心よりお祈り申し上げ、関係者の皆様に深くお詫び申し上げる次第です。合掌。