Hatena::Groupsubhyon

「書評」第16号分

「書評」第16号分

日野原重明『生き方上手』(ユーリーグ 2001年)/評者・肉十八

 西のエリートの頂点、京都帝国大学医学部に入学し、同帝大を卒業後は、宮家や皇族の縁者や文化人や財界人などが利用する病院としても有名な聖路加国際病院の内科医として勤務し、以来、内科医長、院長代理と、誠に順調にすくすくと出世し、最終的には他の対抗馬を押しのけて見事院長の座にまで上り詰め「日本医会の島耕作」と呼ばれた著者。現在は聖路加国際病院理事長・同名誉院長、聖路加看護学園理事長、財団法人笹川医学医療研究財団理事長、財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、財団法人笹川記念保健協力財団会長、財団法人日本訪問看護振興財団副理事長、財団法人キープ協会顧問、財団法人日本科学協会顧問財団法人ライフ・プランニング・センター理事長、トマス・ジェファーソン大学名誉博士、東京都名誉都民、東京都中央区名誉区民、文化功労者、文化勲章、東京都文化賞、日本医師会最高優功賞、勲二等瑞宝章等々々々々々々の、両手の指と掌を濡らして掴んだ粟の粒の数でも足りぬほどの肩書きと役職と名誉を総取りにしている。そんな著者の生き方上手っぷりをこれでもかというほど紹介しているのが本書。「サクセスストーリー」「勝ち組」という文字どもがそろって泣いて謝罪したのち四国遍路の旅に出てしまうほどの文句のつけようのない巧みな出世街道まっしぐらっぷり、日本初のハイジャック事件という大きな事件に遭遇するもケガ一つすることなく解放されるという東郷元帥一家三世代分ほどもある強運、大学教授や政治家ですら定年制が強く主張されている昨今に「いきいき」と現役でい続け、しかも誰からも批判されることのないポジションをキープしている順風満帆さ及び世渡りの上手さというか老獪さ、エトセトラエトセトラエトセトラ…と、この世知辛い世間を生き抜く知恵の数々がカルピスの原液の如くねっとりたっぷりと詰まっている。不景気まみれで同朋すら信用できず、喰うか喰われるかしかない末期資本主義社会の中で、他を押しのけてでも出世し、「幸せな人生」を死ぬ直前まで思う存分味わいたいと言う諸兄諸姉よ、君たちの先人がこの書の中にいる、聖路加にいる、要介護対象ではない立場で周囲に世間に守られながら病院にいる。さおだけ屋と食い逃げにうつつを抜かしている会計士や、単に落ち着きがないだけにも見える銀行にお金を預けない主義の女経済評論家の本などを読むひまがあったら、本書こそを貪るように読み尽くし、ぜひ資本主義社会ニッポンの最強成功者である著者のしたたかな人生サバイバル術を学び取って欲しい。

北方謙三『三国志』全13巻(角川春樹事務所 2002年)/評者・肉十八

 ここ数年、星の王子様、源氏物語、果てはガンダムに至るまで、数々の「新訳」が世に出されているが、中国四千年の歴史が誇る壮大なスケールの大スペクタル叙事詩「三国志」もその例にもれない。いや、もれないどころか小説の「新訳」は当たり前のこと、漫画化にアニメ化、歌舞伎化にゲーム化、女性化に次郎長化と「新訳」では済まされないシドニィ・シェルダンばりの「超訳」に、それぞれの作品が全くつながりのないスタンドアローン的なメディアミックス(勝手な二次創作とも言う)が、原作者が故人であることをいいことに、本来の意図を完全に無視した状態で留まることなく展開されている。そんな中で、今回の三国志は、ハードボイルド作家である著者による、誠に原作の意図に忠実な新訳となっている。考えてみれば、「漢(おとこ)の世界」を書き続けてきた著者が「『漢』の時代」を書くのはある意味必然なことであったのかもしれない。本作では、そんな著者の「漢」を描く作風が「三国志」という戦いまみれの血で血を洗う時代歴史物語を語ることへ実に活かされていると言えよう。例えば、登場人物の会話のシーンも、戦いの日々を生きる武将たちらしく台詞の最初と最後に「馬鹿野郎!」「甘えるな!」の接頭語・接尾語が必ず入っている。また、政策や戦略に悩む君主へ進言をする軍師の言葉も、その九割が「ソープへ行け!」という非常に「漢らしい」ものとなっており、三国志本編のストーリーを楽しみながら、当時の中国の性風俗文化なども垣間見ることができるという、一粒で二度おいしい構成となっている。さらに、ソープだけではなく料理にもこだわりのある著者の嗜好を活かし、中国古来の伝統食材である人肉(以下色々な人々や団体に配慮して中略)……と、このように本書の魅力をあげていくとそれだけで一歴史物語ができてしまうほどにキリがない。だから本書を読み終えたら、そのまま中国文化と風俗文化を両方味わうことのできる歌舞伎町へ行け。

上野千鶴子『おひとりさまの老後』(法研 2007年)/評者・肉十八

 人なら誰でも一度くらい『おひとりさま』な生き方に憧れたことがあるはずだ。伴侶も家族も持たず一人で生きる力を持った『おひとりさま』。機知に富み、誇り高く、孤独を愛して生きる『おひとりさま』。しかし、『おひとりさま』の生き方とは読者が思っている以上にはるかに厳しい世界である。独り者の気楽さなどと少しでも考えている者は、そもそも『おひとりさま』を吊乗る資格などない。孤独な生き方の中でも揺らぐことのない信念、それを支える強靭な肉体と精神、どんな出来事に直面しても動じない冷静さを有していることは『おひとりさま』の最低条件である。言うまでもなく『おひとりさま』同士が馴れ合うことなど厳禁であるし、それ以外の人間との付き合いもドライなものでなければならない。たとえ気の許せる友人と喫茶店で会話をしている時でも、感情は決して顔には出さずクールに相手を突き放しながら話をする。そしてその席がたとえ禁煙席であっても煙草を欠かしてはならないし、煙草に火をつけるライターの火力は最大に調節しておかなければならない。コーヒーはできる限り苦いものをまずそうに飲み干し、食事は酒のみ、しかもバーボンウィスキー、ジン、ウォトカ以外の酒を飲んではいけない。スイーツなど単語を口にすることすらはばかられる。さらに服装もトレンチコートとソフト帽以外の衣服の着用は許されない。防寒などはもってのほか、おしゃれなど言語道断である。逆に車は徹底的にこだわる必要があるが、ポンコツで常に故障車であることが絶対条件だ。日常から明るい道を歩くことかなわず、裏通り、日陰の道、夜の道をコートの襟を立てながら歩く義務がある。雨が降っていれば昼間に表通りを歩くことも吝かではないが、傘は決してさしてはならない。ペットも厳禁、しかし雨の日にずぶ濡れになっている捨て猫を拾うことだけは許される(乾いたら捨てる)。ことほどさように、『おひとりさま』の道を死ぬまで歩き続けるのは大変な困難がつきまとう。それでも、『おひとりさま』の生き方は我々を魅了して止まないのだ。「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」の言葉に代表される『おひとりさま』な人生を、たとえ老いさばらえたとしてもトレンチコートとバーボンの瓶と拳銃を死ぬまで持ち続けたいという静かに熱い魂と持つタフガイな読者諸君にこそ本書を贈りたい。女子供は読むな。

水野敬也『夢をかなえるゾウ』(飛鳥新社 2007年)/評者・万里小路信房

 (略)ガネーシャはリンゴが大好きでした。ですから毒薬を入れたリンゴを普通のリンゴに混ぜて食べさせました。でもガネーシャはとても賢いゾウだったので、毒薬の入ったリンゴをより分けて、普通のリンゴだけを食べてしまうのです。

 しかたがなく毒薬を注射することになりました。馬に使うとても大きな注射が用意されました。けれどもガネーシャの皮はとても厚く、大きくてするどい注射針でもすぐに折れてしまうのです。

 けっきょくは餌をやらずに餓死させることになりました。(略)

 この作品は戦争が人間だけではなく動物も殺す痛ましいものであるという現実を、改めて私たちの心に訴えかけてきます。太平洋戦争の後半期、硫黄島が占領され、帝都東京に爆撃機が来襲するなか、上野動物園の動物たちは、人間たちの都合で殺されていきます。ゾウを子供のようにかわいがった水野飼育員は、それでも最愛のゾウを、自ら手をかけねばならなかったのです。

 ゾウのガネーシャは餓死したのち、水野飼育員の夢に現れて、ボクたちが子供たちに囲まれて、幸せな生活ができる平和な世界になることがボクの夢ですと訴えかけます。ガネーシャの夢は果たしてかなえられたのでしょうか。それは今を生きる私たちの上断の努力にかかっているのです。このような悲劇を二度と再び繰り返してはならないのです。

水野敬也『夢をかなえるゾウ』(飛鳥新社 2007年)/評者・逆剥鈍痛

 二〇〇八年の大ベストセラー(本年書籍売り上げ第二位を記録)になった本書。その内容は、水野家に代々口伝されてきた家訓を小説仕立てで紹介したものである。

 すでによく知られているように、著者は、江戸幕府で老中を務めた水野忠之や水野忠邦といった人物らの末裔にあたる。今回おおやけにされた水野家の口伝は、享保二年(一七一七)、八代将軍・吉宗直々に勝手掛老中に任命され、逼迫しつつあった財政の再建、いわゆる「享保の改革」を推し進めた忠之より伝わるものだ。

 忠之からの言い伝えを一言でいうなら、「夢をかなえたいなら、地に足をつけて生きろ」となろうか。これには、忠之自身の苦い経験がある。

 享保の改革で忠之らは、「米価安の諸色高(しょしきだか)」、すなわち米の価格が安いにもかかわらずほかの商品の価格は高騰するという現象を解決するべく、さまざまな政策をとった。その一つが空米(からまい)取引(米の先物取引。「上実商」ともいった)の解禁である。空米取引は米価の高騰を防ぐため、四代将軍・家綱以来禁止されていたものだが、享保年間、幕府は米の仮需要を拡大するべくこれを緩和、さらには積極的に奨励し、そのための市場として大坂・堂島に米市場を開設した。もっとくわしく説明すると、当初、幕府は米市場を、数名の江戸商人に特権を与えることで、その統制権を握ろうとするが、地元堂島の米仲買らの反発をうけて結局失敗に終わり、以後、米市場は上方商人が運営するところとなる。ちなみに、堂島米市場での米の先物取引は、現代のデリバティブ取引のルーツともいわれている。

 さて、このほかにも忠之は、米価安を打開するためさまざまな手を打ったが、なかなか成果は上がらず、最終的に忠之は、病がちであるとの理由で突如老中職を解かれてしまう。事実上の罷免であり、吉宗は自らの責任を忠之一人にかぶせるというのがその真相といってよい。忠之の心中はいかばかりだったか。くだんの口伝によれば、忠之は解任後ひそかに、当時浜御殿で飼育されていたゾウのもとを何度となく訪ねていたという。

 このゾウというのは、清の商人を通じて将軍吉宗がベトナムから買い入れたもので、享保一三年(一七二八)から翌年にかけて、長崎(当地では牡・牝の二頭連れてこられたうち牝が死亡している)から京での天皇謁見を経て、江戸に到着した。吉宗が謁見したのち、ゾウは「御用済み」を申し渡されたものの引き取り手がなく、浜御殿で引き続き飼われていたという。このゾウが幕府より用済みとされたのが享保一五年、くしくも水野忠之罷免と同年である。忠之はこのゾウと自分とを重ね合わせていたのだろうか。

 口伝によれば、忠之ははじめ、ゾウを相手に吉宗に対する憤りなどを口にしていたが、そのうちに、ゾウの言葉を解するようになったという。というか、ゾウはある日突如口をきいたらしい。ゾウもまた長年の異国暮らしに疲れていたのだろう、愚痴を忠之に対し漏らしたという。しかし、ある夜、忠之に辛辣なことばを投げかける。それが結果的に彼とゾウとの最後の対面となった。

 最後の夜に忠之がゾウから言われたこととは何だったのか。水野家口伝によると彼は、自身の推進してきた米価安対策のうち、空米取引の奨励を厳しく諌められたようだ。いわく、「まったく、実際に形もなーんもないもんに、カネを注ぎ込むのを認めるどころか勧めるなんて、どうかしてまっせ。そりゃ商いちゃう、バクチや。人間、目に見えんもんばっか追いかけてると、いずれ泣きをみるで。いや、ほんまに。もちろん夢はあってもええけど、それを実現するにはやっぱり、地に足つけて少しずつ目標を達成していくしか道はないんやで~」(なぜか、ゾウはベトナム語ではなく、関西弁を口にしたと伝えられる)と。このことばを忠之は心に深くとどめ、以後、子孫に代々伝えていくよう家の者たちに言い遺して、翌一六年に死去した。なお、ゾウはそれから一〇年後に中野の農民に下げ渡されたのち一年も経たずして死んだという。

 この先祖の教えを実践したのが、忠之と同様、幕府老中として財政再建、いわゆる「天保の改革」を推し進めた水野忠邦である。彼がこの改革において、贅沢品や風俗を厳しく取り締まったのも、右のような先祖より伝わるゾウの教えを守ったものと思えば合点がゆくはずだ。

 それにしても、水野敬也氏はなぜいまになって、三〇〇年近く一族のあいだだけで伝えられてきた教えを公表したのだろうか。それは、あまりにもアメリカ式の市場原理主義が世界経済を支配し、カネが実体からかけ離れたところで動くようになってしまったことへの危惧があったものと思われる。

 偶然というべきか、本書がどんどんと部数を伸ばしているころ、二〇〇八年九月のアメリカのリーマン・ブラザーズの経営破綻を発端に、金融危機が世界中を駆けめぐった。忠之に教えを説いたあのゾウは、まさに今日の事態を予見していたのではないだろうか。そう思うと、本書の伝えるものの意味がさらに重いもののように感じられる。この本はまさに出るべきときに出た本、売れるべくして売れた本、といえそうだ。

ボリス・ヴィアン『北京の秋』(1947年 邦訳は早川書房刊)/評者・北千住はるか

 中国の新富裕層のうたかたの日々を描いた『日々の泡』(『うたかたの日々』とも訳される)の続編ともいうべき、仏人作家ボリス・ヴィアンの新作『北京の秋』がこのたび刊行された。その題名どおりオリンピック開催後の中国に焦点をあてたものである。

 とはいえ、著者はすでに一九五九年に亡くなっている。実は、今回刊行されたのは、数年前に『日々の泡』とともに発見された彼の遺稿なのだ。本作が書かれたのは、調査により一九四七年と判明したが、注目すべきは中華人民共和国の建国の二年前だということである。執筆当時、中国はまだ共産党と国民党による内戦のさなかだったが、著者は驚くべき慧眼をもって、人民の一〇〇年の夢だったオリンピックをひとつの頂点とし、世界に勢力を拡大する二一世紀の中国の姿を予言していたのだ。

 ……といいたいところだが、ヴィアンは根本的な部分で中国の行く末を見誤っていた。現実には内戦において共産党が勝利し、国民党は台湾に去らねばならなかったわけだが、『北京の秋』の作中において内戦は共産党と国民党の和睦により終結、新生中国は社会主義と資本主義を共存させた「一国二制度」を標榜して誕生する。この一国二制度というのも現在の中国でいわれているそれとは大きく異なり、本作においては社会主義と資本主義の止揚を意味する。すなわち、経済の自由競争が奨励される一方で、福祉制度が充実した格差のない、いわば一種のユートピア(当然というべきか、表現の自由や基本的人権も守られている)がここには描かれているのだ。だが、あまりにも理想が達成されたがゆえに、人民、とりわけ若者たちは閉塞感に苛まれ、なかには退廃に耽る者すら現われるというのはなんというアイロニーだろうか。

 作中における建国後の中国の歩みもまた興味深い。内戦で荒廃をきわめた国土だが、その復興にはめざましいものがあった。対外的にも米ソ冷戦下にあって中立を貫き、絶妙なバランスを保って国際社会に地位を築く。一九六〇年代には、建国者の一人である毛沢東を崇拝する若者たちがプロレタリア文化大革命なるクーデターを引き起こし、一時国内は混乱に陥るも、周恩来を中心にした政府は事態に冷静に対処して危機を乗り越える。その後、国内で石油が採掘されたこともあり、名実ともに経済大国として仲間入りを果たした。二一世紀初頭のオリンピック開催もその延長線上にあった、というわけである。

 ただ、そんな中国とは対照的に、原爆投下により国土の半分を失い、資源の乏しさから復興もままならなかった「敗戦国」として日本が描かれているのは、さすがに日本人としては唖然とするが(まあ日本が中国との戦争に敗れたことはまぎれもない事実なのだが)。この作品が書かれた当時、ヨーロッパ人が日本をどう見ていたかを示す一つの典型例ともいえるかもしれない。

 なお、本書は当の中国では例のごとく発禁となっているが、海賊版が出回り、若者たちのあいだでひそかなベストセラーになっているという。若い読者たちは果たしてこの本からなにを学び、そしてオリンピック後の母国をどう動かしていくのか、おおいに気になるところだ。

小川糸『食堂かたつむり』(ポプラ社 2008年)/評者・徒然亭道草

 世界のスーパースター、歌手のマドンナに、絶大な信頼を寄せられているプライベート・シェフが日本人であることはご存じだろうか。

 この本はそのマクロビオティックシェフ・西邨まゆみさんの半生を元に書かれた小説である。マクロビオティックとは、日本人・桜沢如一が考案した健康増進のための食事療法で、糖質を制限し動物性食品をいっさい取らず、穀物食、野菜も一部ではなく茎・根までの「全体摂取」を根本とした厳格な方法で知られている。

 桜沢氏の弟子であった西邨まゆみ氏は縁あってマドンナのツアー・シェフとなり、以後彼女が口にするものすべてを監督しているという。

 下積み時代のマドンナはろくなものを食べていなかった。

 バンド仲間とガレージで寝泊まりし、ペーパーカップのコーヒーとポテトチップス数枚を食べたあと、デモ・テープをレコード会社に送り電話をかける毎日。やがて成功しスーパースターになるが、大衆を引きつけておくため、プロテイン摂取とウエイトトレーニングにより「サイボーグ」的肉体改造を繰り返していた。試行錯誤の末巡り合ったのがマクロビオティックだったのである。

 順調に健康維持していたマドンナとまゆみであったが、〇八年九月二六日、フランスツアー中に撮影された彼女の手が「老婆のようだった」と報道され、シワシワ手画像が全世界に流出してしまった。

 やはり、「動物性たんぱく質フリーでは、パッサパサのかっさかさになってしまう!」。その危機を感じたまゆみは風呂敷包みだけをかかえて帰国。千葉県茂原市に拠点を移し、地元の農学部と研究を重ねた結果、完全栄養食となり得るかたつむり、「電電06号」品種改良に成功する。そして、田畑に隣接した小さなレストランで、一日、ひと組限定の客に電電06号を使った料理を提供していくのであった。

 マドンナの全世界ツアーでは、かたつむりの着ぐるみを着た黒人男性とマドンナが妖艶にからむダンス・シーンが取り入れらているが、これはマドンナから彼女へのエールに違いない。

 女同士の友情の深さに、落涙する一冊である。

映画『私は貝になりたい』/評者・村垣一二三

 現在、経済は上況の只中にある。この上況の中で突然雇用を切られる失業者の群れは、いったいどこへ向かうのだろうか。突然解雇され、住むところをさえ失っているのは日本人ばかりに限らない。いやこの景気の冷え込みのしわ寄せは、多く外国人労働者が負っている。

 たとえば自動車産業の盛んな愛知県では、ついこの間までたくさんの日系ブラジル人が働いていた。しかし急激な景気に後退により、生産の調整がはかられ、彼らは突然、働く場と住むところを失っているのである。

 『私は貝になりたい』はこのような現在の状況ととてもよく似た戦後のある時期に起きた事件を描いている。

 職を失い、住むところを失った異国の方に対し、ある篤志家が、自分の所有する廃業したホテルを彼らに無償で提供することにした。

 しかし役所は、それを違法と判断した。何でも、廃業したホテルの土地を、申請なしに住居として使用するのを禁止する、土地の使用に関する難しい法律に触れているらしい。役所は退去を勧告し、最終的には寒天のなか、強制的に立ち退かされ、それによって異国の家族の子供が亡くなった。

 この作品の主人公は強制執行に携わった役人である。彼の、法に従い、命令に従っただけだという主張、体力的に弱い子供を冬の路頭に放り出して無事でいられるかどうかという想像力を欠いた思考、そして無責任さ。裁判の中で主人公の人間性の醜悪さが暴かれていく。

 この作品は何度もドラマ化され、映画化されてきた。しかし現在こそこの作品のメッセージが鋭く私たちの胸をえぐる時代はないのではないだろうか。現在の日本社会に蔓延する病理を鮮明に描いた力作である。