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「書評」第19号分

「書評」第19号分

水木悦子・手塚るみ子・赤塚りえ子『ゲゲゲの娘、レレレの娘、らららの娘』(文藝春秋 2010)/評者・肉十八

 手塚治虫赤塚不二夫水木しげるという日本の漫画界を代表する3巨匠の娘たちによる壮絶な親の七光り鼎談。ちなみに「壮絶な」の単語は「鼎談」ではなく、「七光り」にかかる。

 最初は互いの父親の死因やその後の遺産配分など当たり障りのない話題が語り合われていたものの、途中で赤塚の娘(以下レレレ)の、手塚の娘(以下ららら)に対する「手塚治虫の最大の失敗作は自称『ビジュアリスト』の息子では」なる発言をきっかけに、鼎談会場は一気に任侠映画の賭場のごとく大荒れ状態に。「下書きちゃんと描けよ」「ペン入れ自分でしろよ」「編集者から逃げ過ぎだろ」「編集者いじめ過ぎだろ」「この●リコン」「このマザ●ン」等々の代理戦争的罵り合いがレレレ―ららら間で繰り広げられる中、この不毛な争いを(この鼎談自体が不毛という根本的な問題に触れないようにしつつ)止めんと、それまで沈黙を守ってきた水木娘(以下ゲゲゲ)が、一族に伝わるイタコ技を披露。幽霊界より自身の父の霊を呼び出し、レレレ&らららの説得にあたらんとするも、「親父は生きてるじゃねえか」と二者より同時突っ込みを受け、あえなく玉砕。朝寝を決め込む。

 鼎談はその後も決め手にも盛り上がりにも欠けたままで罵り合いといびり合いが続き、そのまま終息に向かうかと思われたそのとき、突如、『はだしのゲン』の作者である中沢啓治の娘、通称「ギギギの娘」が鼎談会場に乱入。本企画に自分が呼ばれなかったことについて「くやしいのう、くやしいのう」と連呼しながら、手にした下駄で3人の娘たちをさんざんに殴りつけ、見事TKO勝ちをおさめる。最後は、鼎談者全員が勝者ギギギを囲み、死んでいった漫画家たちに向けて「やすらかにねむってください あやまちは繰り返しませぬから」という弔辞を斉唱するところは、まさに参加者の心が一つになった瞬間であり、本書で唯一の一読の価値ある箇所であるが、肝心の弔辞は白紙であった。

冲方丁『天地明察』(角川書店 2009年)/評者・隅花代

 エコロジー時代に適した梱包材の開発秘話でありながら、異色の創業者の生い立ちなどにひき込まれた。

 室町時代より伝わる伊勢流礼法宗家の血筋を引く主人公・一同礼(いちどう・れい)は格式ばった家風に反発し家出、流浪の果てに金がなくなり、ひょんな事から宅配便のセールス・ドライバーとなる。配達の仕事を続けるうち、荷物にも上下すなわち「天地」が存在することに気づき、その奥深さに感動をおぼえるのであった。改心して家に戻ってからは先祖伝来の古書「包結図説」や「作法指南書」を読み漁って研究し、やがてダンボールに近い和紙「装飾檀紙(そうしょくだんし)」の開発に着手する。ガムテープや梱包材を使わず、「包んで、折り込んで、ハイ即配」「草食男子の装飾檀紙」などのコピーで業界内で爆発的ヒットとなったのはご存知の通り。生活にかかせない「紙」を通じ、悠久の歴史に思いを馳せさせる渾身の作である。

浅田次郎『終わらざる夏』上・下(集英社 2010年)――弾は後ろからも?! 高校野球の最前線/評者・伊勢海老天

■はじめに

 幸い今回も寄稿の依頼を頂きまして、中でも書評をとのことで、おっかなびっくり書かせて頂いた次第です。暫し御付き合い頂ければ是幸い。筆者は大胆なテーマと描写が緻密なことで定評のある浅田次郎氏の『終わらざる夏』。高校球児の「出征」から「復員」までの一年間を活写したノンフィクション戦記です。

 さて、書評に入るまえのマクラですが、故・山際淳司氏の秀逸なスポーツ・エッセイの中に『スローカーブを、もう一球』という作品があります。今から三〇年程前の高校野球(それもセンバツ出場を賭けた秋の地方大会)が舞台で、野球とはあまり深い縁のない公立進学校が予想外の快進撃を続け、センバツ出場を果たすというもの。ノンフィクションです。

 ところが、甲子園出場を果たす程の戦績を挙げながらも、文面からはまるで汗臭さを感じないところが作品のミソでして、主人公である同校のエースからして、やれ走りこみは嫌いだの(これをサボるために投げ込みに精を出すのだとか)、(成績は学校でも屈指だそうで)青学辺りで遊びたいだの得手勝手言う御仁。

 で、この野球部、チーム・ワークも良く、ピンチに陥って選手がマウンドに集まると作戦会議ではなく雑談タイムになるようなチーム・カラーで、何だかあだち充氏辺りが描きそうな軟派型野球漫画に格好のネタを提供したような内容。

 ところが、高校野球の現実がこの対極にあるのは言うまでもないことでして、ともそれば学校自体が総力戦を戦う国家の様相を呈していますし、軍隊的な縦社会が構成員を犯罪に向かわせる場合もあります。

 今回の『終わらざる夏』はその辺りを丁寧に記しているように思います。無論、『スローカーブを、もう一球』の野球部も或る程度の練習はこなしているでしょうし、スポーツ関係の書き物にそれまでの反動としてドライで実証的なものが望まれた時代の事情もありますが。

 その意味では、近年描かれた田中誠氏の『実録!関東昭和軍』の方が同書の内容に近いように思います。

■主人公の決意

 『終わらざる夏』の冒頭は、主人公の属する私立強豪校が、夏の地方大会準決勝で無吊公立高校相手に接戦の末敗退する場面。

 前評判では本戦出場が確実だと言われていただけに、試合終了直後の御通夜のような味方ベンチの状態が事細かに書かれており、印象に残りました。味方スタンドへの空々しい会釈、そして無言でうつむきながら球場の廊下を重い足取りで歩く選手達。さらには監督の試合後のとても記事に出来ないような暴言めいたコメント。

 当時主人公は、惜しくもベンチ入りを果たせなかった二年生の捕手で、この敗戦をスタンドで見つめることしか出来なかった訳ですが、自分がベンチ入りした折にはこのような屈辱は二度と味わうまいと心に誓うところで冒頭の場面は締め括られています。この主人公の誓いによって、読者の皆様は、一気に作品に引き込まれたのではないかと思います。

■長い戦いの始まり

 そして、この日から主人公の、そして野球部の「終わらざる夏」が始まります。

 部は部で主力選手が抜けたことで、スタメンその他戦力の再編を行う必要が生じますし、一方、控えに甘んじていた下級生にとっては自分を売り出すためのまたとない好機。

 取り分け主人公は、直後の秋季大会や最後の夏に向けて猛練習を開始する傍ら、ライバルを蹴落として正捕手の座を獲得するために、あの手この手の虚実の駆け引きを始めます。 

 既に学校からして隣の大都市のある県からカネや福利厚生の力で選手を集めるような(所謂「外人部隊」と称される)アスリート高でして、野球が出来る以外は学歴も犯罪歴もさまざまな連中が集まる構図。それも、部員も部員で部の勝利と自分が注目されること以外に関心がないとあればなおさらのこと。

 したがって、元々他人を蹴落とすことに或る程度の手段を選ばないわけです。結果として主人公は、正捕手候補であったライバル捕手と仲の悪い選手を抱きこみスキャンダルを探し、同捕手の喫煙を監督に写真付きでタレ込むことで、見事正捕手の座を射止めます。日●ムの某主力投手も真っ青になるようなハナシ。

 無論、主人公とて聖人君子の対極に位置する人物で、下級生への鉄拳制裁は元より、飲酒喫煙、賭博、カツアゲ、婦女暴行と処分されるネタには事欠きません。要は事が露見するタイミングと状況によるということで、この時マスコミにこの喫煙騒動を嗅ぎ付けられる気配があったので、監督としては、泣いて馬稷を斬るかたちで先手を打って「故障」を吊目に当人に「休暇」を取らせたという次第。

 この辺りの主人公の下士官根性と、事件は状況で如何様にでも化けるという過程が極めて生々しく描かれており、さらには、監督が主人公に対して憎悪を抱きつつも心を鬼にしてこうした裁定を下す心理の描写に非常に説得力を感じました。その意味では、ピカレクス文学としても見事なものだと思いました。

 結果として、惜しくも春の選抜の出場は果たせませんでしたが、主人公を含めた主力選手の成長の伸びしろがあるという点をアピール出来たことで、最後の夏に向けて有意義な成果を出せた秋となった由。

■訪れた転機

 ところが、順風満帆に見えた主人公のえげつないサクセス・ストーリーにも陰りが見えます。金満私学のスカウトの力量の賜物で、超級の新入生捕手が入って来たことで、部員の勢力図が一変します。その新入生捕手というのが、打撃・肩・捕球・リードとどれを取っても主人公を凌駕する選手でした。

 おまけに品行方正で同級生の信頼も厚く、部のイジメ体質を改善したいという考え方の持ち主で、主人公と相容れる要素がひとつとしてありません。

 当然、嫉妬に狂った主人公はこの後輩をイジメにイジメ抜くのですが、嫉妬する側の心理やイジメの生々しさを、例によって、これでもかというくらいに生々しく描いております。そして、例年にも増して暴力や恐喝がエスカレートしていく中で、こうした上祥事を隠す側の対策の巧妙さも然り。むしろ、吊声を得るための学校側の必死さの方に説得力があり、最早「興行《自体が利権で動いていることを鋭く指摘しているようにすら感じられました。

■因果応報と負の連鎖

 そして、決戦の時はやって来ます。

 猛烈な練習の成果が実を結んだことで、主人公の高校の野球部は破竹の勢いで快進撃を続けるわけですが、部内の下克上めいた対立も深刻なものとなっていき、部員の決定的な上祥事―「機密」情報の保持すら覚束ない状態に陥ります。

 その結果、奇しくも先年曰くがあった地方大会準決勝の直前、権力闘争は終局を迎えます。主人公を含めた何人かの主力級の上祥事部員が、監督直々の裁定でスタメンを外れることになります。その理由は、「地方の祭に地域貢献吊目で部を挙げて参加し、そこで山車が倒れて選手が怪我をした」という至極幼稚なものでしたが、小説とはいえ、このような捏造されたとしか考えられないような話が事実として罷り通ってしまう辺りが、同校と地元マスコミの歪んだ関係を示唆していて興味深かったです。この辺りの交渉の経緯も、生臭くて中々笑えました。

 そして、戦列を離れたとはいえ主人公の怨念の成果か、結果として同校は甲子園出場を果たし、上位層の争いに喰い込むことになります。

 しかしながら運命とは皮肉なもので、今度は権力を握った一年生の正捕手が好き勝手をやるようなマクベス宜しく負のループが起きる展開になります。ソクラテスが遥か古代から指摘するように、どのような淀んだ社会や組織であっても、結局はそれがあっての個人だということを改めて感じた次第です。無論、それに変革をもたらす稀有な例もありますが。

 そして個人的には、筆者は実はここが物語の本質として書きたかったのではないかと強く感じた次第。

 なお、その後の主人公は野球進学して社会人野球でも頑張りますが芽が出ず、紆余曲折を経て暴力団に入ったとのこと。そして何と、事もあろうに、角界へ野球賭博を持ち込むことが、ほとんど唯一仕事を通じた野球とのつながりである、という件で物語は終わっておりますが、その直後に例の事件。

 こぼれ話にしても、全く以って皮肉な話だと思いました。

■おわりに

 最後に、何より評者が印象に残ったのはタイトルの意味です。筆者曰く、大会をやる度に一握りの勝つ側の人間と多数の負ける側の人間を出す現実があったとしても、夏が来るたびに、報道する人間は勿論のこと、やる人も観る人も狂喜して妖しい熱気に身を委ねるとのこと。そしてそれは、今年の夏も何等変わることはありません。

 如何に教育が目的とはいえ、良し悪しはともかく高校野球も正邪入り乱れた人間社会の営みのひとつであることを、この小説は言いたかったのかもしれません。

岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら 』(ダイヤモンド社 2009年)/評者・万里小路信房

  内容はタイトルのとおりである。付け足すことはほとんどない。

 そもそも出版元のダイヤモンド社はドラッガーを日本に紹介するために創設された会社といって良い。日本におけるドラッガー受容の歴史はそのままダイヤモンド社の歴史と重なる。しかし近年、ダイヤモンド社は「現代ビジネスに生かす戦国武将の知恵」などといった司馬遼太郎らの歴史小説を「歴史」と同一視するような低脳な経営者におもねる企画ばかりが目立っている。その状況を憂いた古参の幹部が精魂込めて書き上げたのがこの作品である。

 話が逸れるが、日本の「国技」とはなんだろうか。むさくるしい裸のデブがダンスをする団体は、自らの舞踏場を勝手に「国技館」と名付けているが笑止である。読者諸賢の通った小学校に土俵があっただろうか。読者諸賢は「まわし」をつけてダンスをしたことがあるだろうか。おそらく相撲経験者は日本国民の中でも少数派だろう。むしろ海外でのほうが競技者人口が多いのではないだろうか。

 筆者は日本の「国技」は「野球」だと考えている。日本人でキャッチボールをしたことのない者は少数派ではないだろうか。かつてほどではないとしても、何かしら野球を経験した者は多い。正岡子規らが「ベースボール」から作り上げた「野球」は和魂洋才の象徴であり、近代以降の日本の精神を象徴する「国技」といえる。

 「国技」野球の最高峰はなんといっても高校野球である。特に野球のルールを知っていようがなかろうが地域住民が一体となって、代表となった高校球児たちに灼熱のさなか死力を尽くして戦うことを強制する夏場所は、「くに」のために若者を死地に追いやったアレを思い起こさせる。まさに「国技」に相応しい。しかしこのような全国的な高校野球を統括する組織においては、いまだ合理的な経営がなされているとは言いがたい。頻発する不祥事についても危機管理がなされていないという印象は多く共有していただけるだろう。

 ダイヤモンド社の叩き上げである岩崎夏海専務は一方で熱烈な高校野球ファンとしても知られている。大層なレンズをつけたカメラで反対側の観客席を狙っている専務の姿が毎年甲子園球場で目撃されている。専務はドラッガーが蔑ろにされている現状を憂い、これを頭の軽い者たちへ紹介するために「国技」を使うことを思いついた。無論高野連に対する義憤もあったろう。後々高野連に入りたいという下心もあるに違いない。とにかく高野連という非営利団体の経営にドラッガーの手法を持ち込んだらどうなるかという思考実験がこの作品の主要なテーマでなのである。

京極夏彦『死ねばいいのに』(講談社 2010年)/評者・肉十八

 国内初の電子書籍作品と言われる本書であるが、電子書籍ならではの特徴をふんだんに活用しつつ、紙媒体の書籍でもすでに(主に質量面において)名を馳せている、本書の著者の個性を失わない試みがいたるところにちりばめられている。

 まず、京極シリーズの書籍に共通する「質量的な厚さ」だが、これは書籍本来のデータののほかに、本文に無関係な余分データを数多く結合させている。これにより、ダウンロードに異様な時間がかかることで京極作品の質量的な面を表現をしている。さらに余分データの中にはウィルスなども数多く含まれているため、データ自体に不気味さがあり、データをダウンロードしている間にもスリルを感じられるというのも大きなポイントだ。

 また、文章だけではなく画像や映像媒体も楽しむことのできるのが電子書籍端末の特徴であるが、その点についても、本文の要所要所に、京極先生自身のピンナップ画像および着物姿や皮手袋を強調したプロモーションビデオが挿入されており、ふんだんに電子書籍の特徴を活用していると言えよう。なお、それらの映像と小説本編にはなんら関係はない。

 さらには、クリック一つでさまざまな物品を購入できるネットという媒体をフルに生かすため、本作品のページをすすめていくごとに、自動的に本書以外の京極シリーズ、また作者おすすめの怪奇小説、怪奇資料、作者愛用の皮手袋のセットなどが、読者の意思に関係なく勝手に購入されていくシステムも搭載されているのだ。

 本書を読み終える頃には、読者は、正体不明のウィルスの蔓延した電子端末、止めることもできないままで再生され続ける京極先生の皮手袋PV、そして自宅に届けられた大量の皮手袋とレンガのような本および本のように見えるレンガの数々、そしてそれら商品の請求書の山をぼうぜんと眺めながら、本作品の作者に対して、『本作品のタイトルと同じ言葉』をつぶやくことだろう。

映画評:西川美和監督『ディア・ドクター』(2009年)/評者・吉森寺柔(きっしんじ・やわら)

 『キネマ旬報』誌の二〇〇九年のベスト・テン日本映画第一位、日本アカデミー賞の最優秀賞脚本賞など、数々の栄誉に輝いた同作。いまさらとりあげるまでもないかもしれないが、いちおう紹介させていただく。

 本作の主人公は、沖縄返還をめぐり日本政府の密使としてアメリカのキッシンジャー大統領補佐官(当時)との交渉にあたった若泉敬。若泉はこの当時京都産業大学の教授だったが、本作において彼を演じた――本作が映画初主演となる――笑福亭鶴瓶はくしくも中退ながら同大学の出身者である。なお、タイトルの「ドクター」は、ハーバード大学で博士号を取得したキッシンジャーその人を指している。

 物語は、一九七〇年、駐米公使の吉野文六(演じるのは香川照之)が日参していたホワイトハウスで、若泉とすれ違うシーンからはじまる。知人である吉野を見て、若泉はニヤッと笑って立ち去った――。

 吉野はこのとき、沖縄返還とともに繊維製品の貿易をめぐる交渉に追われていた。日本からの化学繊維製品の輸入増加に対し、ときのニクソン米大統領は国内産業(とくに地元である南部の繊維産業)の保護のため輸入規制措置を選挙公約に掲げていたのだ。これに対し、日本側はやはり国内産業保護の立場から(なにしろ繊維は明治以来の日本の主要な輸出産業だったのだから)なかなか色よい回答をすることができなかった。

 そのうちにアメリカは日本との沖縄返還交渉において、本来無関係であるはずの繊維問題を取り引きの材料に持ち出す。すなわち、沖縄返還の見返りに繊維問題での日本の譲歩を求めたのである。

 このことに、繊維問題の交渉にあたっていた吉野もしだいに感づくようになる。なにしろ、いくら合意しても、翌日には日本から合意をひっくり返す訓示が届くのだ。それも繊維問題の知識のある者ならけっして言い出さないような指示だった。吉野とアメリカ側の担当者は自分たちとは別チャンネルで交渉が行なわれていると疑わざるをえなかった。

 ここで吉野は、ホワイトハウスですれ違った若泉のことを思い出す。事実、若泉はこのころ、ときの日本の首相・佐藤栄作(映画では市川団十郎が演じている)の密使として、キッシンジャー(同、ピーター・セラーズ)と沖縄返還に向けて交渉を進めていたのである。

 日本政府は、返還交渉にあたり「核抜き・本土並み」の方針を掲げたのに対し、アメリカは返還後も緊急事態に際には再持ちこみできるよう主張、文書による合意を要求した。その文案を練ったのはキッシンジャーと若泉だった。

 合意文書には、「重大な緊急事態が生じたさいには、アメリカ政府は日本政府と事前協議を行なったうえで、核兵器を持ちこむことと沖縄を通過する権利が認められることを必要とするであろう」とし「日本政府はかかる事前協議のばあいは、遅滞なくそれらの必要を満たすであろう」と記されていた。これは、いわゆる「沖縄返還交渉における日米間での核密約」のひとつである。

 「核密約」にかかわったことで、その後、若泉はしだいに良心の呵責にさいなまれるようになる。一九九四年には、自身の知っているすべてをあきらかにすべく『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』という著書を刊行したが、政府が「密約」を認めることはなかった。

 映画の後半では、沖縄県民に対し贖罪の念にかられ、思いつめる若泉の様子が克明に描かれる。当時の沖縄県知事に、国立沖縄戦没者墓苑で自殺するとの遺書を送りつけたうえ、現地に喪朊姿で赴いたもののけっきょく思いとどまる若泉。しかしそれからまもなくして、知人の目の前で青酸カリを口にふくみ自裁するという、壮絶な最後を迎えるのだった――。

 本作は、近年になって公表された「密約」文書や関係者の証言にもとづき、かなり忠実に考証がなされている。膨大な資料にもとづき、みごとに骨太の社会派ドラマに仕立てて見せた西川監督の力量は、やはりただものではない。ことし(二〇一〇年)に入って、鳩山前政権が「密約」について検証のうえ事実を認めるにいたったが、この映画はすくなからずその過程にも影響を与えたと聞く。

 ところで、本作公開にさいしてのキャッチフレーズは、「その嘘は、罪ですか。」というものだった。ここには、沖縄の本土復帰を一刻も早く実現させるためには手段を選んでいる暇はないという思いと、日本国民、なかんずく沖縄県民をだまし続けることへの後ろめたさという、2つの心情のあいだで揺れ動く若泉の姿がみごとに表われている。

※本稿執筆にあたっては、『中日新聞』二〇一〇年三月五日付の「日米外交密約特集」を参考にしました。

ゲーム評:『ラブプラス+』(コナミデジタルエンタテインメント 2010年)/評者・綾小路蓼丸(たでまる)

 ニンテンドーDS向けの恋愛シミュレーションゲーム『ラブプラス』の最新作がリリースされた。従来の恋愛シミュレーションゲームが美少女キャラとやりとりしながら、恋愛までに発展するまでの過程を楽しむものだったのに対し、『ラブプラス』は恋愛そのものを楽しむという方向性を打ち出し、大ヒットとなった。これには中毒というくらいハマってしまうユーザーも多く、「もう三次元の女はいらない」とうそぶく者もいたとかいないとか。

 今回発売された第2弾でも前作と同じく、傷皮ブブ子、声溜モゲミ、狂崎汁世という3人の女子高生のなかから好きな娘を選んでプレイすることができる。今回特筆すべきは、新たに「一泊二日で彼女と熱海旅行に行くイベント」という仕様が追加されたことだ。

 ここで熱海と聞いて、ピンと来た読者も多いのではないか。そう、この作品は、舞台『熱海殺人事件』で知られ、先ごろ亡くなった劇作家で演出家のつかこうへい氏の全面監修のもと制作されたものである。つか氏は病床にありながら、渾身の力を振り絞って指導を行なったと伝え聞く。

 さて、物語は熱海ではなく、警察の取調室のシーンからはじまる。奇異に思われるかもしれないが、このあたりはつか氏の『熱海殺人事件』から引用されたものだ。木村伝兵衛部長刑事と富山県警から来た熊田刑事は、プレイヤーであるあなたを立派な犯人に仕立てるべく、さまざまな指示を与える。

 ためしに傷皮ブブ子を選んでプレイしてみよう。プレイヤーであるあなたは、幼馴染の女子工員・ブブ子とひょんなことから再会、あのときできなかった告白を思いきってしたところ、「てめー、いつまで経ってもキメーんだよ。このクサレ童貞野郎!」と罵声を浴びせられてしまう。これにあなたはついカッとなって、彼女を絞め殺す。ゲームがはじまるのはここからだ。

 伝兵衛の取調べに対し、あなたははじめ「カッとなってやった。いまは反省している」といった紋切り型の言葉しか出てこない。だが、自分の童貞としての存在意義、ブブ子と再会したシチュエーションなどことこまかに問い詰められるうちに、ある物語がでっちあげられ……もとい、つむぎ出されていく。

 画面はいつしか切り替わり、熱海の風景。あなたはここでブブ子と再会する。かつて燃え上がるような恋をしながら、さまざまな事情から別れざるをえなかったふたり(いつのまにかそんな設定になっていた)。ゲームのなかではその出会いから別れまで、セリフのやりとりをしながら再現していく。ただし、すこしでもおざなりなセリフを言おうものなら、伝兵衛刑事の罵声が飛んでくるので注意。

 このあと旅館の海の見える部屋で一晩話しこむうち、おたがいの境遇に絶望と共感を覚えたあなたとブブ子は心中することを決意。物語はいよいよクライマックスへと突入する――。

 さて、あなたはもっともらしい心中物語を組み立てることができるだろうか。心中という美しい結末に向かって、どれだけ豊饒な物語をでっちあ……もとい、つむぎ出すことができるか。そのことが、このゲームを楽しめるか否かにかかわってくることはいうまでもあるまい。

 なお、『ラブプラス+』の発売にさいして、ゲームの舞台となった熱海市は市をあげて歓迎、希望者を募ってツアーも行なわれた。ある旅館では、ゲームに熱中するあまり、部屋のガス管をひねって死亡する者まで出たとの報道もあったものの、のちにこれはテレビ局による虚報であることが判明、ネットなどで激しくバッシングされたことは記憶に新しい。

 つかこうへい氏が亡くなったのはちょうどそんな騒動のさなかであった。この場を借りて、あらためて哀悼の意を表したい。

 なお、『ラブプラス+』の続編では、つか氏のこれまた代表作である『蒲田行進曲』がモチーフにされるとの噂があるが、本当かどうかはさだかではない。