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サブカル評論

サブカル評論

サブカル評論

 サブカル堂の発行・発売している同人誌。2001年、それまでサブカル堂が発行していた『天国桟橋』(1999年~)を受け継ぐ形で創刊された。

 現在、編集人を万里小路信房、発行人を田中北京(サブカル堂代表)が務める。一説によれば、同人は全世界にのべ100万人を数え、発行部数は1000万部を超えるともいわれる。具体的にどんな記事を掲載しているかは、総目次を参照されたい。また、参考までに同誌第3号(2003年12月)の「天使の辞典・サブカル雑誌篇」に掲載された説明も以下に転載しておく。

【さぶかるひょうろん】①『Quick Japan』『GON!』『BUBKA』など、90年代に相次いで登場したサブカル誌を糧にすくすく育ったよいこたちがつくる新聞形式の雑誌。旧題『天国桟橋』。いわば90年代サブカルの鬼っ子的存在(であってほしい)。②ここ最近、サブカルは一種のファッションアイテム――自分にはセンスがあるということを顕示するためのアイテム――になった感があるが、同誌はあくまでもそんなこととは無縁なものを志向している。同誌で扱われているテーマはだいたい、サブカル内でも周縁にあるもの、大勢からは無視されているようなものであり、より正しくは「サブ・サブカル」とでもいうべきだろう。③ゲーム雑誌『コンティニュー』に対し、少し気取っているところが鼻につくなどと評していたのは、おそらくこの雑誌しかあるまい。

 (リスト::天使の辞典::サブカル雑誌篇

 下記は、『サブカル評論』が志向するものについて万里小路が説明したものである。やはり万里小路による「サブカル堂」の解説とあわせて御一読いただきたい。

サブカル評論』とはなにか?

 『サブカル評論』とは「サブカル評論する」モノではなく、「サブカル評論する」モノである。

「サブカルに評論する」とはどういうことか?

 我々は「サブカルなモノ」が存在することを信じていない。存在するのは「サブカルな行為」であると固く信じて疑わない。そしてこの『サブカル評論』では「サブカルな評論」という行為、サブカルに評論することを目的としているのである。

具体的に「サブカルな評論」とは?

 かつてこの国の言論は「中道、やや左寄り」が支配していた。そのような時代ならば我々はライトな言説を述べるだろう。現在「サブカルなモノ」に関心が集まっているのならば、あえて伝統的な、古くさく、その辺に転がっているようなものに関心を向けよう。「個性的な」モノが尊重されているのならば、あえて没個性なものを、あるいは世間で許容されうる限界を超えた奇形的・破綻的な個性を尊重し、愛でようじゃないか……というぐあいに、状況に応じて志向を変えていくことこそ我々の「サブカルな評論」を行う姿勢である。

それは世間というものに逆向きに従うだけで、本当の個性とは言えないんじゃないの?

 そのような質問には「然り」と答えよう。我々は世間で言われるような社会の伝統性・歴史性から遊離した「個性」なるモノを信じない。たとえば、我々は詩をろくに読んだこともない小学校低学年に無理やり書かせた詩や、幼稚園児のクレヨン画に驚きや心理学的興味をかき立たされることはあるにしても、そこに「個性」なんか感じたりしないのである。

 我々は世間というものを尊重する。我々はあまり「個性」という言葉を用いないが、あえてそれを定義じみた言葉で表現するならば「人それぞれの世間への従い方」と言えよう。もちろんその従い方には正の場合があり、負の場合があり、又関係性が0の場合すらありえるだろう。そして我々が「サブカルに」、「サブカルな」という副詞、形容詞を用いる場合には、世間一般に対し正ではない関係で付き合っている、その姿勢を示しているのである。

再び『サブカル評論』とはなにか?

 この読み捨て新聞が扱っているのは「サブカルチャー」ではなく、「サブカルチャー」というジャンルとはまったく異なる「サブカル」という行為であるということはここまで読み進められた読者諸賢には自明のことと思う。だがここでさらに贅言を尽くすことはお互いにとって利益が多かろう。

 我々の『サブカル評論』は「サブカルチャー」という事柄に対し世間一般の論理で評論するものではなく、世間一般の事柄を「サブカルな」論理で評論するというものである。本誌を一読していただければ、そんな大層なものではないことは一目瞭然であるが。