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中村長芳

中村長芳

【なかむら-ながよし】①2007年10月18日 ②元岸信介秘書官ロッテオリオンズ・太平洋クラブ/クラウンライターライオンズ元オーナー ③83歳 ④失礼ながら、まだ生きておられたのか! とその訃報を知って驚いた。実は、ウィキペディアで生年不明となっていたこともあり、いままでにも人名録などでこの人物について調べたりしていたのだが、詳しいデータが見つからなかったのである(唯一、大宅壮一文庫の記事索引で、岸信介が死んだときに『文藝春秋』に追悼記事を寄稿しているという情報を得たのだが、現物は未確認)。/元首相の岸信介の筆頭秘書を経て、1971年にロッテオリオンズのオーナーに就任。1972年秋、経営危機にあった西鉄ライオンズを外資系のペプシコーラに買い取ってもらうよう仲介役を務めたが、契約直前で破談*1。結局、中村がライオンズを買い取り、新たに福岡野球株式会社を設立することとなった。なお、西鉄側は当初、球団の買収額として3000万円を提示したが、中村は岸の「西鉄といえば栄光ある球団だ。それを3000万円というのはいかにも哀れだ。せめて1億円ぐらいを考えたがいい」という助言に従ったという(福岡野球株式会社で球団代表を務めた坂井保之の著書『波瀾興亡の球譜』を参照)。その後ライオンズは、太平洋クラブ、クラウンライターとスポンサーの変更にともない改称を繰り返したが、チーム成績は低迷を続け、経営も悪化の一途をたどり、ついに1978年に堤義明西武鉄道グループに売却、本拠地も福岡から所沢へと移ることとなった。球団売却後、代表だった坂井は西武ライオンズのフロントに移籍、80年代のライオンズ黄金時代を陰で支えたのち*2ダイエーホークスの経営でも敏腕を振るった(現在はプロ野球経営評論家)。しかし、中村のその後の経歴はまったくといっていいほど公には明らかにされていないはずである。/ちなみに、ロッテオリオンズという球団名は、もともと大映が経営していた1969年にロッテがスポンサーとなったことから、それまでの東京オリオンズより改称されもの。ただし、改称はしたものの球団の経営は従来どおり大映が行なっていた。よってこのときの改称は、いまでいうネーミングライツ(命名権)譲渡に近い(その後、オリオンズはロッテに売却されたため、名実ともにロッテがオーナー企業となるのだが)。中村がオリオンズに続いてオーナーとなったライオンズもまた、太平洋クラブ、クラウンライターとスポンサー名を名称に冠することとなった。そういえば、2004年に、大阪近鉄バファローズが球団名をスポンサーに売却すると発表した際、他球団から「前例がない」と猛反発を食らい一瞬にしてとりやめるということがあったが、歴史の忘却もいいところである。

 凡例:①命日②肩書③享年④雑感・トリビアetc.

 (リスト::天使の辞典::サブカル死人篇::2007年

*1:契約前日に同じパシフィック・リーグの東映フライヤーズ(現・北海道日本ハムファイターズ)が日拓ホームに売却されることが報じられ、ペプシ側が同リーグの球団経営に懸念を示したためといわれる。

*2:思えば、西武ライオンズは、坂井がフロントにいた1982年に初優勝して以来、2007年のシーズンを5位で終えるまで、四半世紀にわたってAクラスをキープし続けてきたのだからすごい。

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