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松原メンバーの過去原稿

2005-08-14

春風亭のカミカゼ!?タイガー&ドラゴン 23:21

●脈々と続く排他の構造

落語評論本などに、「シンブン爺イ」という言葉が出てくる。

昭和40年頃か、寄席に長年通っている客達が「五代目・古今亭志ん生八代目桂文楽を聴いていない奴はモグリだ」と言って新参の客をよくバカにしていたらしい。

志ん生のシンと文楽のブンで、「シンブン爺イ」。バカにされた新参客がネーミングしたのだろうか。

キャパシティの限られた空間で、客同士が「席を奪い合うライバル」だからなのか、寄席ファンというものはとかく排他的である。

そして、そんな客にはなりたくないと思っていた新参客も、客席の隅っこに通ううちに同じようになってきてしまうのだ。

鳥肌が立つような高座を勤める噺家もいれば、タイムカードを押すだけのような了見の悪い噺家、描写をつけ足して噺を四十分ほども演じ、「名人であるかのように取り繕う」噺家もいるという事がわかってきてしまう。

「あいつは、ダメだ…」

と心で感じた瞬間、落語落語家に対する「理解のステージ」があがる。そうなると、若かろうが爺イだろうが、オタクだろうが女子高生だろうが、誰もが「シンブン爺イ」の心境・口調になってくるのであった。

落語ファンよ本性をあらわせ!

 官藤官九郎が脚本を書いたドラマタイガー&ドラゴン」(2005年1月、四月TBS制作)は、圧倒的人気を博して一般社会落語ブームを引き起こし、都内の寄席は連日超満員となった時期があった。

番組をきっかけとしたこのブームを、本稿では「タイガー旋風」と名づけよう。

大半の落語ファンの本質はシンブン爺イ的であるので、タイガー旋風を「受け入れたくない」というのがホンネではないかと思う。TVを見た客が寄席押し寄せるなど、縄張りを死守する落語ファンが最も嫌悪するパターンだ。しかし、あからさまに否定すれば、「シンブン爺イの末裔」とみなされ、流行を理解しないヤツのレッテルを貼られてしまいそうだ。

が、これは落語界が盛り返したブームではなく、ドラマという虚構によって起こったものだ。

幻想噺家を追い求めて寄席に足を踏み入れた新参者。

これこそ、真の「馬鹿にして良い餌食」なのである。シンブン爺イの末裔

今こそ目覚め、復活するべきなのだ!ピカゴローッ!(雷の落ちる音)

(いや、私はそんな事はしませんよ…ほんとだってば!)

冗談はさておき、「美形でアウトローな噺家」という幻想を求めてお客さんが来ても、現実寄席に虎児(長瀬智也)なみの美形噺家はいない。(本物のヤクザ噺家ならいると思うケド!?)が、唯一、クドカンの客を満足させる存在がいる。

春風亭昇太だ。

タイガー&ドラゴン オリジナル・サウンドトラック

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タイガー&ドラゴン「三枚起請の回」 [DVD]

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タイガー旋風は春風亭のカミカゼ

 ドラマで林家亭どん吉を演じていた春風亭昇太は本物の落語家であり、現在のところ実力・人気・現代性ともに申し分ない。年齢不詳の外見、古典新作落語もこなし(創作し)、高座はわかりやすく、ギャグ合格点。お洒落、レトロ趣味、車好き、料理好き、独身、ひとりを楽しめる、格闘技好き、怪獣好き、…昇太にはおよそ、シンブン爺イの時代のような落語家イメージは無い。

そう、タイガー旋風は昇太のためだけに吹き荒れたのだ。

私服のファッションなど、昇太クドカンは同じタイプ人間ではないかと思う。長瀬がいなくても、昇太を観る事ができれば、クドカンのファンは満足し、

寄席にハマる可能性もある、かーもしれない。

(初出:『サブカル評論第』第8号、2006年12月 一部改稿)




発見!『砂の器』はあのジャンルだった…。 23:19


砂の器 [VHS]

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05年7月1日、デジタルリマスター版『砂の器』を東銀座東劇にて鑑賞。

観ている最中から、私の血圧はあがり、手は汗ばんだ。

ラスト・シーンとなったとき、感動に泣きはらしつつも、私は確信した。

(す、「砂の器」、おまえもか…!)

映画砂の器」には「望まない子供」、または「子供を持つことによって起こる不幸」という呪いが、密かに描かれているのである。

まず、幼い頃に母を亡くし、愛情に飢えている和賀英良こと本浦秀夫。飢えているがゆえに女性を求めるが、真剣に愛する事はできない。高木理恵子は遊び相手であり、田所佐知子は出世に利用しただけ。しかも二人とも胸の無いガリガリちゃん、女性性・母性符号を持たないという点が二人の共通点であり、秀夫にとって魅力に感じるところなのであろう。

それなのに理恵子は和賀の子供を身ごもってしまう。

過去がある・らい病の遺伝を恐れて・父になる恐ろしさ・出世の妨げ…等が理由なのか、和賀(秀夫)は頑固として理恵子の出産を拒否。

そんな和賀の態度に怒った理恵子は「どんな子どもでも、あなたよりは幸せよ!」という捨て台詞を残して泣きながら夜の街をさまよい続け…。流産によって路上に倒れ、運ばれた病院で急死してしまう。

しかも運ばれた病院で「あんまり出血が多かったから、てっきり交通事故かと思って…婦人科だったら何とかなったかもしれないが」

医師が困惑しているさなかに、ピー……と心停止

酷い。和賀に遊ばれ、証拠隠滅工作までさせられたのに、和賀が手を下す事なく都合よく勝手に死んでしまう理恵子。しかも運ぶ病院を間違えられるというオプションまでついている。

この理恵子のエピソードが、まず第一の「子を持ったために起こった不幸」。

そして、そもそもらい病にかかってしまった本浦千代吉がに子どもがなければ、自らの命を絶つ事もできたかもしれないが、秀夫がいたために、死ぬ事もできず巡礼の旅を続けなければならならなかった。

これが、第二の不幸。

そして千代吉親子を救った三木夫妻のささやか幸せは、養子となった秀夫の失踪によって壊されてしまう。

本当の親のように深い愛情で接していた三木夫妻の心は、かたくなになった秀夫には届かず、失踪されてしまう。

幼い子どもに絶対的に拒絶された不幸を乗り越えるため、三木は執念で秀夫を探したに違いない。

そして、見つけた秀夫本人によって殺害されてしまう。

子ども(養子)を貰わなければ、こんな悲劇はなかった筈である。

三木の元を去ったまだ幼い秀夫が、いったいどうやって和賀自転車店の丁稚になれたかは謎だが、和賀夫妻も秀夫を受け入れたために戦災で死んでしまう。

ここまで徹底するとアッパレというものである。

翌日、参考までに本屋に行って

斉藤美奈子著「妊娠小説」(ちくま文庫)を購入。

妊娠小説 (ちくま文庫)

妊娠小説 (ちくま文庫)

この本は、「日本近代文学の多くの名作には、望まない妊娠によって男が悩み苦しむという、妊娠小説という一大ジャンルがある」という視点で森欧外「舞姫」、石原慎太郎太陽の季節」、三島由紀夫「美徳のよろめき」などを解説した名著である。

映画砂の器」も近代文学セオリーに従って「妊娠小説」的要素を盛り込んだのだろうか。




(初出『サブカル評論』第8号2005年8月)